奴隷、出会い……ソクラテスの死後、プラトンが取った歩み。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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奴隷、出会い……ソクラテスの死後、プラトンが取った歩み。

天才の日常~プラトン<第2回>

奴隷となったプラトン

  しかし、プラトンとディオンの蜜月の時代は長くは続かなかった。
 ディオニュシオスとの会見で議論をしたプラトンは、独裁者を批判し「正義の人は幸福であるが不正な人は不幸である」とする『国家』で論じられるような主張をした。これを聞いたディオニュシオスは自分が批判されたと感じ、激しく立腹してしまう。怒りのあまり、プラトンを亡きものにしようとさえしたが、ディオンになだめられてシュラクサイからの追放に留めた。

 プラトンは、ちょうど外交使節として訪れていたスパルタ人に引き渡され、奴隷として売られることになってしまう。だが、奴隷市場で売りに出されているプラトンを、たまたま面識があったのか、キュレネから訪れていた学者が見つけて、金を払い、解放した。そして、親切にもアテネの友人のもとへプラトンを送り返す。こうして、プラトンの長い放浪の旅は終わり、アテネへ帰国することとなったのである。

 帰国したプラトンはアテネ近郊の森に土地を買って「アカデメイア」という学園を築き、弟子を集めて教育者としての生活を行うようになった。アカデメイアでは授業料をとらず、寄付などで運営を賄っていたと言われている。

 プラトンは40歳から60歳頃の間、ここで教育と研究、執筆に専念した。『国家』を書き上げたのもこの時期だとされている。その間、ギリシア中から学者を志す若者や政治家を志す若者が集まり、多数の人材を輩出することでアカデメイアの名声は高まっていった。ギリシアの北方地域マケドニアからはるばるやって来たアリストテレスもその一人である。(後篇に続く)
【前篇 不朽の名著「国家」が生まれるまでにあったプラトンの葛藤】

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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