政治家・官僚・国民全体に「デジタル化の必要性」が真に認識されていない
人類は科学技術で進化するしかない。突然変異による進化など待っていられない。
■デジタル化してこそ人類に未来がある
カーツワイルや、おそらくカーツワイルなどがブレインとなって考案したであろう世界経済フォーラムの「第四次産業革命」が想定する未来は、決して絵空事ではない。
科学技術は発展し始めたら止まらない。便利さには抵抗できない。電気のない生活に戻ることはできない。水洗トイレや肛門洗浄装置のない生活に戻ることはできない。インターネットのない生活に戻ることはできない。
科学技術は核兵器やバイオ兵器など殺傷能力のみ高めたし、環境汚染も進んだと言われる。悪いのは技術じゃない。それを使う人間の水準が低すぎるだけだ。
実際のところ、科学技術の発展を加速化させないと人類に未来はない。人類が意識革命によって進化する未来など永遠に来ない。遺伝子の突然変異による進化など待っていられない。ほとんどの人間には目に見えないものへの想像力などない。自動車や飛行機などの技術のおかげで遠隔地に行けるようになったからこそ、人類の視野が広がった。技術の発展によってこそ人類は自分の限界を超えることができる。
科学技術の発展によって、先進国共通の悩みの少子化高齢化問題は消える。労働力の不足は機械が埋める。高齢化に伴う身体の不自由は機械が補う。義足や義体の研究開発が進めば、身体的ハンディキャップを持つ人々にとって、いかに福音になることか。
脳の研究が進めば、先天性脳性麻痺の人々の可能性を広げることができる。今までは人格上の問題と判断されてきたことが、脳内器官の機能不全が理由とわかれば、その対処策も発見される。他人を傷つけることしかできないような反社会的人間の更生も可能になる。
コストと生産性において、人的労働力をはるかに凌駕し、労働のかなりをAIやロボットが請け負う時代が来たら、生産性が飛躍的に向上し、人間は生活資源をもっと安価に、もっと豊富に、もっと便利に入手できるようになる。人類史上初めて、それまでは貴族にしか許されなかった生き方を人類すべてができるようになるかもしれない。
ロボット工学者の大阪大学大学院教授の石黒浩は「人間は機械へと進化する」(ダイヤモンド社、2017)において、「究極的に、肉体を提供する仕事がいっさいなくなればすべての人間が学習だけに専念し、哲学者に変わると筆者は考えている。考え続けることこそ、人間ならではの営みだ」と書いている。
哲学者にはならずに、仮想現実装置で暇つぶしするだけの人間もいるだろう。それが、その人間が選んだ生き方であるのならば、それはそれでいい。
■機械が人類を滅ぼすより、人類が人類を滅ぼす可能性のほうが高い
映画「The Terminator」(1984)のように、機械によって人類が滅ぼされるのではないかと恐れることはない。このままならば、確実に人類が人類を滅ぼす。
よく、一種のサイコパスでないと政治家や企業の経営者は務まらないと言われる。ビッグデータを活用して日々自己学習する人工知能のほうが、サイコパスよりマシな判断ができるだろう。
人工知能が神になってしまうと恐れる人々もいる。どのみち人類は、古代から奇妙な神々を信じ愚行を重ねてきた。なにしろ、2020年になっても、新約聖書のヨハネ黙示録に出てくるハルマゲドンが起きないと救世主が降臨せずに平和と繁栄の「千年王国」が実現しないから、人工的にハルマゲドンを起こそうと第三次世界大戦を画策する人々も存在するらしいから。自分の外部に神を設定する依存性から抜け出すことができない人々は、スーパーAIを神とあがめていればいいのだ。
何を私が言いたいかといえば、シンギュラリティは本当に来るから、「デジタル庁」を創設し、人類史上未曽有の大変化に備えることは必要であり、AIやロボットによって、辛くはあるが死ぬまでの簡単な暇潰し手段であった労働から解放される未来がいずれは来るのだから、自分の人生の幅を科学技術によって広げることを想定し勉強するなり考えておきましょうということだ。
■身体の機械化への抵抗が小さくなりつつある現代
少なくとも、人間は自分の身体を自分の精神とは分離させ、身体を機械として見る状況には、すでにいたっている。
8月23日朝刊「日本経済新聞」に、「インドのモディ政権が代理母出産を禁止する」という記事があった。インドでは、最下層の女性たちの稼げる仕事として「代理母」がある。2002年に合法化され、毎年約2000人の女性が従事する。富裕層夫婦の依頼で、他人の受精卵を自分の子宮に着床させ、めでたく出産すると、日本円で40万円ぐらいの謝礼を得る。この額はインドの最下層の女性にとっては生涯賃金に等しい。
ところが、この代理母ビジネスにはトラブルが多いので、モディ政権も代理母ビジネスを禁止せざるをえなくなった。
昔の日本に「腹は借り物」という言葉があった。女性の身体を介さないと人間の再生産ができないので、しかたないから男は女に子を産んでもらうしかないが、女そのものはどうでもいいという意味だ。
このインドの代理母の事例は、それよりもすごい。ほんとに、人間の身体を「卵孵化器」のように扱っている。まさに人間の機械化だ。いつ頃から、こういう身体を便利な機械のよう見る見方に人々が慣れてきたのだろう。
ノーベル文学賞受賞作家のカズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」Never Let Me Go(2005)は、臓器移植用のクローンとして育てられた若者たちの哀切な物語だった。
人間の内臓や身体が代替可能なものであり、不具合があったら部品交換できるという身体観が浸透してきたのは、やはり、サイボーグが映画やアニメに登場するようになってからだろう。ロボットとサイボーグは違う。ロボットは100%人工物で無機物。サイボーグは人間と機械のハイブリッド。有機物と無機物の混合。