第二次大戦におけるUボートエース 「スカパ・フローの牡牛」の最期。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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第二次大戦におけるUボートエース 「スカパ・フローの牡牛」の最期。

オムニバス・Uボート物語 深海の灰色狼、敵艦船を撃滅せよ! 第4回

深海の灰色狼。第二次世界大戦で大西洋において連合国側を戦慄させたドイツ海軍の潜水艦「Uボート」にまつわる物語をオムニバス連載で紹介する。

U47に撃沈されたリヴェンジ級戦艦「ロイヤル・オーク」。第2戦艦戦隊の旗艦だったため、戦隊司令官ヘンリー・ブラグローヴ少将も艦と運命を共にした。

スカパ・フローに潜入せよ!
その3:「スカパ・フローの牡牛」

 1939年10月13日深夜。この日は潮位が大きく上下する大潮と月明かりのない新月が重なっており、作戦決行には最適の条件であった。U47は隠密裡にオークニー諸島へと接近すると、イギリス側の警戒線を巧みにすり抜けた。そして大胆にも浮上し、カーク水道を航行してスカパ・フローへの侵入に成功。日付が変わった14日00:27に湾奥に至った。

 作戦開始直前の11日に行われた航空偵察では、空母、戦艦。巡洋艦などかなりの隻数の大型艦の停泊が認められたが、それらのほとんどは13日に出航してしまっていた。しかし湾内を捜索したところ「リヴェンジ」級戦艦(「ロイヤルオーク」)が確認され、その遠方には巡洋戦艦「レパルス」らしき艦影も見えた(水上機母艦「ペガサス」を誤認)。プリーンは00:58に「ロイヤル・オーク」を狙って艦首発射管4基の斉射を命じたが魚雷は3本しか射出されず、うち1本が不発のまま「ロイヤル・オーク」の錨鎖をかすったにすぎなかった。

 この雷撃でU47の侵入が発覚すると覚悟したプリーンだったが、まさかUボートが入り込んでいるなど思いもつかないイギリス側は、単なるアクシデントと判断して何事も起こらなかった。そこで彼は艦を反転させて1基しかない艦尾発射管からも射出したが、何とこの魚雷も不発。

 

 だがプリーンは不屈だった。敵の牙城のど真ん中で魚雷を再装填し、とりあえず艦首発射管2基の装填が済むと、0116時に再度「ロイヤル・オーク」を雷撃したのだ。今度の魚雷は艦底で炸裂し、同艦は右舷に転覆して01:29時に沈没。

 その後、U47は見つかることなく脱出できた。なぜなら、イギリス側は「ロイヤル・オーク」の沈没を当初はUボートの攻撃と見込んではおらず、U47の脱出行動中は対潜警戒が緩かったのだ。

 祖国への帰路、U47のセイルに鼻息を荒げた牡牛の漫画が描かれた。描いたのは先任士官エンゲルベルト・エンドラス中尉。以降、この「スカパ・フローの牡牛」はプリーンの個人マークとなり、彼自身も同じ渾名で呼ばれた。

 しかし、やがて英雄にも最期の時が訪れる。1941年3月7日、U47は輸送船団OB293を襲撃中に護衛の駆逐艦「ウォルヴァリン」に捕捉撃沈され、プリーンも戦死したのだ(この最期には異説もあり)。なお、彼の最終的なスコアは敵艦船撃沈数約30隻以上、計約200000tであった。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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