第二次大戦でイギリスの通商ルートをことごとく破壊し苦しめた、ドイツ軍の「ある戦術」
オムニバス・Uボート物語 深海の灰色狼、敵艦船を撃滅せよ! 第5回
ウルフパック戦術の凱歌:その1
ドイツ海軍がUボートに求めた本来の戦い方は、植民地大国イギリスにとってまさに生命線のシー・レーンを遮断する、通商破壊戦で活躍することだった。もちろんUボートはこの期待に応えて、世界に広がるイギリスのシー・レーンのあちこちで、軍需物資を輸送する商船を片っ端から撃沈した。
これに対してイギリス海軍は、商船1隻に護衛艦艇1隻を付けるなどということができるほど多数の護衛艦艇を保有していなかった。それどころか、大は空母から小は上陸用舟艇に至るまで、どの艦種も圧倒的に不足していた。
そこで第一次大戦時の戦訓に倣い、商船にコンヴォイ(船団)を組ませて、これを護衛艦艇でまとめて護衛するという戦術が復活した。こうすれば、数十隻の商船を数隻の護衛艦艇で守ることができる。簡単に言ってしまえば、か弱き羊(商船)の群れをシープドッグ(護衛艦艇)で守るという構図である。
もちろん、Uボート側も当然ながら対抗手段を編み出した。それは、1隻のUボートがコンヴォイを発見すると、仲間のUボートを呼び集めて協同で襲撃するという戦術だった。そして、「深海の灰色狼」の渾名で呼ばれるUボートが集団で羊の群れを襲う様から、この戦術はウルフパック(群狼)戦術と称された。
特に、護衛艦艇の隻数が絶望的に少ないうえ各艦の性能もまちまちで、対潜戦術もまだ確立されておらず、それに用いる対潜兵器も開発が遅れていた第二次大戦初期には、ウルフパック戦術に晒されて壊滅的打撃を被ったコンヴォイも少なくなかった。こうして得られた大きな戦果が、数多くのUボート・エースを輩出することになった。
特に航行距離が長い大西洋横断コンヴォイは、陸上発進の対潜哨戒機(たいせんしょうかいき)の航続距離の外側――これをブラック・ギャップと称する――に出たところで、執拗なウルフパック戦術に晒されることになる。しかも、時のフランクリン・ルーズヴェルト大統領をして「デモクラシーの兵器工場」と言わしめたアメリカ、イギリスの自治領で巨大な穀倉ともいえるカナダ、食肉や原油の産地たる南アメリカ諸国と、イギリスを結ぶこの大西洋横断コンヴォイは、もっとも重要であった。
そのような大西洋横断コンヴォイのひとつが、SC7だった。