「あの竹、茶道具に使えそう!」危険な戦場でも竹林に夢中な、ミスターへうげもの・古田重然(織部)
第三十回 SAMURAIファイル 古田重然
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか?
「武将兼アーティスト」って……なんかカッコいい
古田重然? 誰、それ? と思う人も多いかな?
古田織部と言った方が、わかりやすいかも。
古田重然=古田織部は、戦国武将でもあり、大名でもあり茶人でもあり、茶器や庭園をつくったりもするアーティスティックなセンスの持ち主でもありました。
重然がつくった茶道の流派「織部流」、ダークグリーンや黒が美しい「織部焼」も有名。茶人・古田 織部の弟子には、二代将軍・徳川秀忠、小堀遠州、本阿弥光悦もいたんですよね。
こんな感じで「武将」のイメージより「茶人」のイメージが強い重然ですが、実は、織田信長の使番としても活躍しているし、秀吉の家臣になってからも、小田原征伐など、さまざまな戦いで武将として活躍しています。
武将でもあり、茶人でもあった重然には、こんなエピソードがあります。
大坂夏の陣(冬の陣とも言われている)の最中、佐竹義宣の陣を訪問した時、茶杓を作るのにピッタリな竹がたくさんある竹林を発見! 合戦中で、危険な立場なのにも関わらず、竹をもとめて竹林へと入っていってしまいました。
パパーン! 敵の弾は重然の頭部をかすめ、ケガを負ったもの、なんとか命拾い。
このとき重然は、兜をかぶっていなかったらしく「やっぱり、これからは、どこに行くにも兜をかぶっていないとダメだね」と言ったとか(笑)
好きなものを見つけると、夢中になって他のことを忘れちゃう気持ち、わかるなぁ。僕も同じタイプです!
せっかく命拾いした重然だけど、このあと、家康から切腹を命じられてしまいます。豊臣側にヒミツの情報をいろいろと流していたとか、家康暗殺計画に関係しているとか、そんな疑いがかけられたみたい。
それが本当だったかどうかはわからないけど、切腹を命じられた重然は、言い訳もせず、潔く切腹…。
やはりサムライです。立派な武士であり、茶人であり、アーティストでもあった古田重然=古田織部。
彼の残した芸術家としての功績も忘れないでいたいですね。
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