1940年代初頭、多くの商船を沈めたドイツ海軍・オットー・クレッチマーの常識破りな作戦
オムニバス・Uボート物語 深海の灰色狼、敵艦船を撃滅せよ! 第7回
カナダや南アフリカと、イギリスを結ぶ大西洋横断コンヴォイ(船団)のひとつ、SC7を襲撃した灰色狼ことUボートは計8隻。その中に、撃沈された20隻の商船のうちの7隻を、たった1隻で撃沈したUボートがあった。それがVIIB型UボートのU99で、艦長の名をオットー・クレッチマーといった。
従来、コンヴォイを襲撃するUボートは、護衛艦艇によってコンヴォイの外周に設けられた護衛スクリーンの外側から雷撃を加えるのが常だった。というのも、まさに護衛スクリーンと称されるように、このスクリーンを境にしてその内側が護衛艦艇による重点的な防御範囲となるからだ。しかしこの護衛スクリーンの外側からの攻撃方法では、魚雷の射角や射距離の関係から、大きな戦果は望めなかった。
そこでクレッチマーは、コンヴォイの護衛スクリーンの内側に入り込んで雷撃する戦法を発想した。当時はまだレーダー技術が発達していなかったため、Uボートは夜に浮上し、闇に紛れてコンヴォイの列の内側に入り込む。Uボートに限らず潜水艦のセイル(艦橋)は丈が低く小さいため、ちょっと海況が荒れ模様であれば夜間に肉眼で発見するのはかなり難しかった。こういった実情を利用して護衛スクリーンの内側に入り込んだら、至近距離から適切な射角で雷撃を実施するのだ。
クレッチマーは、SC7に対してこの戦法を行った。その結果、ひとりで7隻もの商船を屠ることができたのである。ただしこれを行うには、Uボート艦長に相当の胆力が求められた。何しろ、いつ護衛艦艇に発見されるかとひやひやしながら、護衛スクリーンを突破しなければならないからだ。
こうして、ウルフパック戦術と護衛スクリーンの内側に入り込むという戦法の組み合わせがSC7に大損害を与えたわけだが、このケースは当時の戦例のひとつであり、SC7以外にも数々のコンヴォイが同様のダメージを被っていた。
あまりに隻数が少なすぎる護衛艦艇。遅れた対潜戦術と対潜兵器。Uボートがこれらを相手にして主導権を握って戦うことができた1940年6月以降1941年初頭までの時期を、「Uボートの黄金時代」と称する。そしてこの時期に数多くのUボート・エースが誕生したが、クレッチマーはその代表ともいえるUボート艦長であった。