【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌韓も韓流好きもパク大統領を知れば、その根っこは同じ『朴の不時着』《今日はニャンの日》
平民ジャパン「今日は何の日」:6ニャンめ
41年前の今日、韓国を作った男、大日本帝国陸軍士官学校57期卒、満洲国中尉・高木正雄こと朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺された。
朴の生涯を知れば、あなたを「好き」にさせ、「嫌い」にもさせるそんな韓国の実像がはっきりと見えるニャン!
■朴正熙無くして、現在(いま)の韓国は無い
1979年10月26日、大韓民国大統領・朴正煕(パク・チョンヒ、日本名・高木正雄または、岡本実)は、側近たちとの宴席のさなか、同郷の腹心、大韓民国中央情報部(KCIA)部長・金載圭(キム・ジェギュ、日本名・金本元一)に拳銃で胸を撃たれた。次に頭を撃たれて、とどめを刺された。背後には北朝鮮とアメリカがいただろう。真相はわからない。
朴正熙は1961年の「5.16軍事クーデター」で政権を奪取、18年間にわたり韓国の絶対的権力者の座にあった。徹底的な思想言論弾圧で反体制派を潰し、宿敵北朝鮮と一触即発の対峙を続けながら、工業化で先行する北を追撃した。10年間で、のべ32万人をベトナムに派兵・参戦し、アメリカから巨額の経済・軍事援助、日本の倍の特需を獲得、独裁を容認させた。反日の声を押さえこんで仇敵「日帝」と和解、日韓基本条約を結び、日本からは11億ドルの支援を獲得した。それを原資に大規模インフラ構築、重工業強化を進め、世界最貧国の一つだった韓国を経済強国に導いた。朴の治世の63年に始まる30年間は「漢江(ハンガン)の奇跡」ともいわれる。
朴正熙無くして、現在の韓国は無い。
■日本への愛憎から「用日」というリアリズム
自らの最期まで血にまみれた激烈な生き様には朝鮮民族主義、日本軍国主義、共産主義、反共主義の遍歴があった。終生、日本への憧れ、劣等感、尊敬、怨念、復讐心があった。そして反日と親日、知日と「用日」(日本をうまく使って利用する)が混在していた。
韓国と朝鮮民族に対する誇り、理想とともに、苛烈な自己批判、自己嫌悪ともいえる思いを朴は隠さなかった。原動力となる激情を秘めながら、感情に左右されない「リアリズム」の鉄則を貫いた。こんな超人的政治家は日本にはいまだかつていない。
実弾をくぐり自国民すら殺してきた軍人と、弾圧を生き抜いた反体制活動家だらけの朝鮮半島の指導者たちを甘く見てはいけない。犠牲者を名乗る執拗なクレーマーとばかり、韓国を見くびってはいけない。彼らは皆、例外なく生身の暴力の洗礼を受けている。
暗殺から41年の今日、暴力と変節に満ち溢れていた朴正熙について知ることで、韓国を知ることができる。敵に挟まれた環境で生き延びる、残酷な天使のテーゼを、平民ジャパンは現代韓国の神話から学びとりたい。自家発電の嫌韓に煽られて用日されてばかりではだめだ。返す刀で用韓(韓国をうまく使って利用)するリアリズムを持ちたい。