日本人の英語を駄目にする大人たちの考え方
It doesn’t make me feel like a cat.と4歳の娘が言えるのはなぜか
「聞く」能力を阻害するもの
ミニマリズムを考えて、わかったことがある。
人は何かを究めようとしたり、頂点に上り詰めることを最良とするが、必ずしもそれがベストではないということ。
何かを頑張り、習得することで、他の何かの能力が欠けるということだ。
言語の場合は、一つの言語で別の言語を学ぼうとすることに難がある。素直に音を「聴く(聞く)」という作業を、究めた言語が邪魔をするのだ。
また、日本語も英語も、読み書きを覚えることで、初歩的な言語習得の邪魔をする。
音で覚えるという人間の能力は、読み書きによって衰えるのだ。
つまり、言語は別の言語で覚えるものではなく、文字で覚えるものでもない。
この二つの要素が、子どもが0歳から3歳ごろまでに母国語を習得するミステリーを説明するヒントであり、日本人が英語を苦手とする理由を解明するヒントでもある。
実は、外国語習得だけでなく、勉強においても読み書きに偏った教育は限界が来ている。
社会で必要とされる、コミュニケーション能力、暗記能力といったものは、「聞く」能力を育てることにあり、「人間の教育」に柔軟性をもたせるものなのだ。
必死に読み書き型の勉強をして、「日本語が育つ」というのは、古い時代の考え方になると私は考えている。極論として言えば、「日本語も育たないし、英語も育たない」。
ABCとノートに書くような英語教育では、いつまで経っても日本の英語はグローバルにならないということだ。
そして、子どもの「聞く」能力は無限大であり、0歳から二つの言語を同時に耳にして、同時に話し、使いこなすようになる。子どもの可能性を大人が勝手に縮めてはいけない。
それでも、日本の大人たちは言う。
「机に向かって勉強しなさい」
「英語は大きくなってから」
時代は変わるよと、私は言いたい。