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日本シリーズに平日デーゲームがあった時代

キーワードで振り返る平成30年史 第7回

日本シリーズ 平日デーゲーム
~平成5年(1993)~

 

 かつて10月には国民的スポーツのビッグイベントがあった。プロ野球日本シリーズだ。普段野球に興味のない者も勝敗には注目し、スポーツ紙の一面はもちろん、地上波でも毎試合ダイジェストが単独の番組として放送される。日本シリーズはかつてそんなイベントだった。

 その非日常感を醸し出すのに大いに役立っていたのが、平日のデーゲーム第 7回 日本シリーズ平日デーゲーム平成5年(1994)まで開催という特殊性だった。当時平日のデーゲーム開催は、他には巨人主催の札幌円山球場での試合くらい。今よりずっと平日と土日の差は大きく、平日休みの職種でも昼間の飲酒や遊行時には人目を気にしていた時代、真っ昼間の野球中継が与えてくれた違和感はなかなかのものだった。 

 平成4年に日本のサッカーがプロ化する以前のプロ野球は、まさに見るスポーツとして唯我独尊状態。そんなプロ野球の大一番に人々(特に男性)が関心を持たぬ訳はない。だが今と違って生中継にアクセスできるような携帯端末などなく、それどころかインターネットによる点数や途中経過の確認もできない。勤め人は営業などを口実に外に出て戦後の復興期のように電気屋のテレビに群がり、一方学生は視聴覚教室などに無断潜入し闇パブリック・ビューイング。今なら大いに問題になりそうだが、職員室や体育教官室などで教員自らが授業の合間に観戦に勤しみ、その噂を聞きつけた生徒がそこへ殺到するケースも多々あった。 

 そんな日本シリーズの平日デーゲーム開催も、テレビの視聴率の低下などが考慮され、平成5年までなった。ちなみにこの年の日本シリーズは、昭和末期から平成初期にかけて黄金時代を築いた管理野球の西武ライオンズに対し、ID野球の野村ヤクルトが雪辱を果たした名シリーズ。平日デーゲーム開催の終了と共に西武黄金時代も幕を閉じた。夕焼けを背景にした西武ライオンズ球場、それは人によってはジュリアナ東京以上にバブル時代を想起させる風景なのかもしれない。

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後藤 武士

ごとう たけし

平成研究家、エッセイスト。1967年岐阜県生まれ。135万部突破のロングセラー『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島社文庫)ほか、教養・教育に関する著書多数。


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