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東アジア初の女帝、推古天皇はいかにして誕生したのか?

女性天皇君臨の系譜の謎①

日本にかつて存在した女性天皇。なぜ彼女らは女帝として立つにいたったのか? 女性天皇君臨の系譜の謎に迫る、集中連載。

山田高塚古墳/大阪府南河内郡太子町大字山田にある古墳。古墳時代末のもので、推古天皇の古墳とされている。

推古天皇は即位前から大きな政治的発言力を持っていた

 皇統譜上、最初の女帝は第33代推古天皇だ。即位したのは592年。この時点でシナ大陸にも朝鮮半島にも、女性君主の前例はまったくなかった。つまり推古天皇は東アジアで史上初の女帝だった。

 では、女性の推古天皇(額田部皇女)がこの時、即位したのは何故か。よく語られるのは複数の有力な男性皇族が皇位の継承を巡って対立している場面では、いったん「中継ぎ」に女帝が立ち、その後の円滑な事態の処理を図ったという説明だ。だが、こうした説明は信じにくい。この場合、有力な継承者候補者として名前が挙がるのは竹田皇子と厩戸皇子(聖徳太子)だ。ところが、2人とも即位するには若すぎた。竹田皇子が20歳前。厩戸皇子は18歳だ。

 6、7世紀の天皇の即位年齢はすべて30歳後半より上だった。とても2人が有力な候補だったとは思えない。

 しかも当時、まだ譲位という慣行はなかった。ならば「中継ぎ」の役割は果たせない。現に2人の皇子は推古天皇在位中に亡くなっている。だから「中継ぎ」説は成り立たない。ではどう考えるべきか?

 
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高森 明勅

たかもり あきのり

1957年、岡山県生まれ。歴史家・神道学者。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校講師などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表、國學院大學、麗澤大学の講師。著書に『歴史で読み解く女性天皇』(小社刊)、『二本の10大天王』(幻冬舎)など。


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