龍馬も計画? 将軍暗殺は果たして実行できたか
外川淳の「城の搦め手」第39回
明日、11月15日は、坂本龍馬の命日。というわけで、「城」をテーマにしている当連載の趣旨からは少々はずれるかもしれないが、今回は番外編として、龍馬が計画していたとも言われる「将軍慶喜襲撃計画」の実効性を検証してみたい。
襲撃方法としては、少数による狙撃と、部隊による攻撃に2分される。慶喜の参内ルートは、町屋が密集しており、京都守護職や新撰組が警備を厳重にしても、2名1組の狙撃者の何組かを潜入させることは不可能ではない。
狙撃犯を増やせば、成功の確率が高まる一方、発見される確率も高まる。数組の狙撃犯が潜入できたとしても、慶喜の周囲には多数の護衛が楯として配置されているため、成功の確率は低い。ただし、将軍の行列に銃弾を1発でも発射できれば、大政奉還を拒絶したことへの報復となり、それなりの政治的効果は期待できた。
一方、部隊による攻撃を想定した場合、二条城を出発した慶喜一行が御所に到着するまで、攻撃をしかけられるかがポイントとなる。陸援隊が駐屯する白川の土佐藩邸をスタート地点とすると、慶喜の行列が二条城を出発したという知らせを受け、行動を開始して全力で疾駆しても、逃げ込まれる確率が高い。
距離的には三条木屋町の土佐藩邸が近いものの、家老・後藤象二郎の賛同は得られない可能性が高い。それよりも、御所近くの薩摩藩邸へ事前に移動していた方が、攻撃をしかける確率は高まるだろう。
襲撃部隊は、ライフル銃を装備した50名と、切り込み隊50人で編成。銃撃によってダメージを与えながら、切り込むことによって行列へ接近するという戦法が想定される。
以上、歴史上では実行されなかった慶喜襲撃計画を検証してみた。将軍の警備の実態など、各種史料を調べても不明な点が多かった。そのあたりをつかめると、さらに検証を進められるだろう。