ディズニーリゾート35周年以降「大転換」の可能性
開園35周年を迎える東京ディズニーリゾートの、緻密かつ大胆な方向転換
来年4月、35周年の東京ディズニーリゾート
「夢と魔法の王国」である東京ディズニーランド、そして「冒険とイマジネーションの海へ」をテーマにした東京ディズニーシー。2016年9月には東京ディズニーシーが15周年を迎え、来年2018年4月には東京ディズニーランドが35周年を迎えます。
非日常空間が広がる2つのテーマパークには、現実世界では味わえない様々なファンタジーや冒険の世界が広がっています。賑やかなショーや、スリル満点の個性的なアトラクション等が私たちを楽しませてくれます。そんな2つのテーマパークに、今、「少しずつ変化」が起きています。それは、「映画主体のテーマパークへ変化している」という事です。
「ディズニーなのだから映画のキャラクターの世界なのは当たり前でしょ?」と思う方も多いかもしれません。ですが、これが常に変化と進化を繰り返すディズニーリゾートにとっていかに大きな転換か、ということを、東京ディズニーシーでの転換の歴史を振り返りながら考えていきたいと思います。
東京ディズニーランドでは開園当初から、パレードやショーにディズニー映画のキャラクターがたくさん登場していました。もちろんこれも、ディズニーリゾートの魅力のひとつです。
しかし、2001年にグランドオープンした東京ディズニーシーは、世界のディズニーリゾートの中で、「海」をテーマにした唯一のテーマパーク。開園当初は「キャラクター」よりも「大人の世界観」を大切にしたテーマパークでした。
その構想は、東京ディズニーランドが5周年を迎えた1988年に、「第二テーマパーク構想」として発表がされました。まだコンセプトや名称さえ決まっていなかった頃です。『海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語』(加賀見俊夫著・講談社刊)によると、当時、米ディズニー本社はこの第二テーマパークを「映画の世界を全面的に出したテーマパーク」とするよう提案をしてきました。
しかし、東京ディズニーリゾートの運営会社である、オリエンタルランドの代表取締役社長だった高橋政知氏(当時)は、これを頑なに拒みました。その理由として、「アメリカの巨大映画産業のように、日本には映画文化が根付いていない」という事を挙げました。
そして、「東京ディズニーランドではまったく体験できない経験を求めるゲストのための第二テーマパークでなければ創る意味がない」(同書より)という強い想いがありました。
東京ディズニーランドの日本への誘致を成功させた高橋氏には、第二テーマパークを日本オリジナルのテーマパークとして大切にしていきたいという切なる想いがあったのでしょう。
そして2001年9月に東京ディズニーシーがオープンしました。ディズニーキャラクターが登場しないショーやライブ等のイベントが数多く開催され、高橋氏の思いをそのままに、東京ディズニーランドとは大きく異なる個性的なパークとなったのです。