やっぱり織田信長と黒田父子は相性がよくない……戦国武将どうしの相性をまとめて鑑定
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第27回 ~戦国武将まとめて相性鑑定 その2~
○細川藤孝と井伊直政は相性100%!~交渉はパパに任せたほうがよかったか?~
一見、接点のなさそうな2人だが、藤孝の嫡男・忠興と井伊直政は大げんか?をしたという話が残っている。
島左近の娘婿・小野木重勝(おのぎしげかつ)は関ヶ原の戦いで西軍に付き、自身の和歌の師匠である細川藤孝の丹波田辺城を攻め開城させた。ところが、本戦では西軍が敗戦したため、福知山城に撤退。ほどなくして藤孝の嫡男・忠興らによって福知山城を開城させられた。
小野木重勝に対して、怒りを露にしたのは、忠興。「ただちに切腹させるべき」と主張した。反対に、重勝擁護に回ったのが、井伊直政。「何とか命は」と助命嘆願した。結局、家康の命により、重勝は切腹させられたわけだが、自分の意見が通らなかった腹いせからか、直政の進言により、関ヶ原の合戦の恩賞として挙がっていた、但馬一国加増の話はなくなってしまったという。
藤孝と直政が相性100%だったところを見ると、イケイケガツガツタイプの嫡男・忠興ではなく、冷静な父親・藤孝が交渉の舞台に上がっておいたほうが、物事が丸く収まり、細川家にも何かと得があったのかもしれない。
ここまで、私なりにこの相性鑑定結果を解釈してきたが、まだまだ知られざるロマンがありそうである。天下統一した信長や、江戸幕府を開いた家康に意外にも相性がいい武将が少ないことが明らかになったが、なぜ他武将を治めることができたのか、キーマンは誰だったのか、今後も検証を進めていきたい。
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。織田信長と島左近の生年月日は、「国史大辞典」に記載がないため、信長は、ルイス・フロイスの記述から生年月日を導いた松田毅一先生の説を、左近は「和州諸将軍傳」を参照した。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。織田信長と島左近の生年月日は、「国史大辞典」に記載がないため、信長は、ルイス・フロイスの記述から生年月日を導いた松田毅一先生の説を、左近は「和州諸将軍傳」を参照した。