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すべては“あの人”のため? 聖徳太子の功績が「創作」された理由

『日本書紀』が伝える聖徳太子の「本当の姿」に迫る!⑩

 以上のようにみてくるならば、『日本書紀』が憲法十七条のような法典の編纂と「天皇記」「国記」のような歴史書編纂という二大事業のみを太子の事績としていたのはどうしてかが問題となる。『日本書紀』が編纂された時期は7世紀後半から8世紀の初頭であり、この時期、律令のような法典編纂や『日本書紀』のような歴史書の編纂が行なわれる場合、天智天皇や天武天皇の皇子のなかで有力な者がその総裁というべき役割を果たすことが多かった。たとえば、律令編纂においては草壁皇子、歴史書編纂にあっては川嶋皇子や忍壁皇子、それに舎人親王らがそれぞれ主宰を務めている。

 太子が法典や歴史書の編纂を行なったとするのは、このような史実をふまえて考え出されたのではないかと考えられる。太子のようなのちの皇太子に相当する皇子は、法典・歴史書の編纂を主宰したに違いないとして、憲法十七条や「天皇記」「国記」編纂という太子の事績が「創作」されることになったのであろう。そして、それは当時皇太子であった聖武天皇に皇太子のあるべき姿を学ばせるというねらいがあったとみられるのである。

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遠山 美都男

とおやま みつお

昭和32年(1957)、東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士後期課程中退。博士(史学)。著書に『聖徳太子の「謎」』(宝島社)、『日本書紀の虚構と史実』(洋泉社歴史新書y)など多数。


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