「中華民国の忘れられた革命家、晴れ間の時代の異色の天皇」1925(大正14)年、1926(大正15)年【連載:死の百年史1921-2020】第4回(宝泉薫)
連載:死の百年史1921-2020 (作家・宝泉薫)
死のかたちから見えてくる人間と社会の実相。過去百年の日本と世界を、さまざまな命の終わり方を通して浮き彫りにする。第4回は1925(大正14)年と1926(大正15)年。清国と共産中国、明治と昭和のはざまでかすみがちなふたりの姿に光を当てる。
■1925(大正14)年
亡命二度の英雄が夢見た、もうひとつの「大東亜共栄圏」
孫文(享年58)
孫文は、忘れられた英雄である。辛亥革命によって清国を滅ぼし、じつに3500年も続いた中国の王朝史に終止符を打ちながら、その後、登場した毛沢東らの共産主義中国の影に隠れ、かすんでしまっている。彼が建国した中華民国にしても、その指導者としては蒋介石を思い出す人のほうが多いのではないか。
しかし、孫文ほど日本に縁の深かった中国人はなかなかいない。二度の亡命によって知見を広め、人脈を作って母国での革命につなげた。親交のあった犬養毅への手紙には「日本の維新は支那の革命の原因、支那の革命は日本の維新の結果」だと、その影響を表現している。また、最初の妻は日本人だし、二度目の妻・宋慶齢との結婚をとりもったのは、日本の商人・梅屋庄吉だった。
この梅屋というのは面白い人物で、若き日に孫文と出会って意気投合。30年近くにわたって支援を続けた。費やした金額は現在の価値に換算して2兆円にも達したという。その財力をもたらしたのは、もっぱら活動写真での成功だ。白瀬矗(のぶ)の南極探検を記録映画にするなど、ヒット作を世に出し、やがて日活の創業者のひとりに名を連ねることとなる。
そんな友人もいた日本は、放浪する革命家だった孫文にとって、母国以上に安らげる場所だったかもしれない。亡くなる前年にも来日して、今も語り継がれる「大アジア主義講演」を行なった。じつは彼が建国した中華民国は直後に袁世凱によって主導権を奪われるなど、迷走して内乱状態に。日本の大陸進出により、両国の関係もギクシャクし始めていた。そこで彼は、聴衆にこう問いかけたのだ。
「あなたがた日本民族は、欧米の覇道文化を取り入れた上に、アジアの王道文化の本質をも持っていますが、今後は世界文化の前途に対して、結局のところ西方覇道の手先となるのか、それとも東方王道の防壁となるのか、それはあなたがた日本国民の、詳細な検討と慎重な選択に懸かっているのです」
だが、その6日後、彼は病に倒れた。肝臓ガンに蝕まれており、3ヶ月ほどして永眠する。享年58。「革命いまだ成らず」と言い残しての無念の死だった。
一方、彼が頼みにした日本はといえば「大アジア主義講演」での問いかけに明確な答を出していたとは言いがたい。そのまま、日中・日米戦争へと突き進んでいくのである。
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