【造反有理のいちご白書】1969年1月19日 全共闘が占拠する東大安田講堂が落城。企業戦士としてバブルを駆け抜けた団塊の世代は、いま、何を思うのか
平民ジャパン「今日は何の日」:13ニャンめ
◼︎「僕は死にません!」でも、トラックは止まらなかった
そして、思い切り高転んだ。1991年3月、バブル景気は51か月(4年3か月)で公式に崩壊した。朝鮮特需を起点とする戦後復興、高度成長期から約40年続いたカーニバルは終わった。
大蔵省銀行局は通達一本で日本経済に大打撃を与え、官製不況を産み出した。金融機関は躊躇なく貸し剥がし、貸し渋りを始めた。バブルを煽ったメディアは一転、叩く方に回った。
いずれも古典的景気循環説をとり、ほとぼり冷めればまたよくなるとうそぶいた。またしても日本は、失敗の本質に向き合わなかった。金融政策の度重なる失敗、大企業経営判断の迷走、産業構造変化への対応の遅れが重なり、長引くデフレの中で、日本経済は終わりの見えない低迷に入った。
東大紛争以来、荒廃状態のまま約20年閉鎖されていた安田講堂がようやく改修され、皮肉にもバブル崩壊の春、そこで卒業式が再開された。老若男女が青春ラブコメ&アドベンチャーは永遠だと信じていた。「僕は死にません!あなたが好きだから」と叫んだとき、突っ切んできたトラックは止まらなかった。
◼︎団塊世代のツケを払い続ける「就職氷河期」の子どもたち
全共闘世代の子供たちである団塊ジュニアがリクルートスーツを着た時、就職氷河期が始まった。非正規雇用が激増した。ゆとり・さとり世代はまだ小さかった。生まれてきたら、すでに日本はじんわり停滞していた。全共闘運動は太平洋戦争ほど遠く、もう誰も議論はしなくなった。ウザイ言葉から離れた結果、思考の退化がヤバい。右見て左見て空気読む。オタクは世代をまたぎ、あらゆる種類に細分化された。すべてがニッチになって、メジャーが細っていった。失われた20年が過ぎるころ、またアメリカにそそのかされて、国はクールジャパンと言い始めた(2010年代)。日本はオタクと外国人観光客が経済を回すことになった。しかし、コンテンツとインバウンドをひっくるめても、GDPの3%にも届かなかった。
子供の数は年々減り続ける。オタクも、100万人を超える引きこもりも、高齢化していく。引きこもりの子が親に寄生したまま、ともに老いていく「生き地獄」——8050問題は9060問題に移行する。
要介護者を65歳以上の者が介護する老老介護は、ともに75歳を超える超老老介護に、そしてともに認知症を患う認認介護へと進む。
そして、コロナ禍で移動が制限され、外国人観光客は瞬時に消えた。非接触、分散、監視がキーワードとなった。宴会は禁止された。ライブや集会は問題外となった。夜の街と名指しされた地区は壊滅した。
もうリアルな出会いは現世では望めない。異世界でならば、主役になれる。ハーレムも持てる。そうやって物語は失われた。ヤマなし、オチなし、意味なし—「やおい」がデフォルトとなった。
失われた30年はまもなく40年めに突入する。
失われ続ける「いま」は未来に向かって続く。
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