【造反有理のいちご白書】1969年1月19日 全共闘が占拠する東大安田講堂が落城。企業戦士としてバブルを駆け抜けた団塊の世代は、いま、何を思うのか
平民ジャパン「今日は何の日」:13ニャンめ
◼︎コドモのまま年をとっていくオトナが蔓延する国
「ふざけるな」と言える大人もいない。
まして、異議申し立てをする若者はとっくに絶滅した。
コロナ禍で学費が払えない学生が増えている。
非正規とバイトによる若年労働力の奴隷化、調整弁化がとまらない。
いつでも切り捨てられる。社会保険もない。
そんな労働力としてすら、質の面で、コスト効率面で、165万人を超える外国人労働者に対して劣後している。
もう誰も若者のことなど見向きもしなくなった。
たとえ、東大を出ていようとも。まして、「女子供、年寄り」など、誰がかまっていられようか…。そういう国を「美しい国」と呼んで、自己陶酔していたのはどこの誰だったか。それを指摘する者も、もういない。
めちゃくちゃになっている宗主国・アメリカも、虎視眈々の仮想敵国&お得意様・中国も、いつ何をやりだすか。益々わからないこの世界で、方向感の無い日本はロストし続ける。団塊の世代の挫折と敗北と転向は、子、孫の代にまで祟っている。
安田講堂を占拠した学生たちも、三島と行動した楯の会の若者たちも「唐獅子牡丹」を好んで歌ったという。どちらもまだ、義理が重たい日本に生きていた。
全共闘の運動のさなか、1968年の東大駒場祭ポスター(制作:故・橋本治)はこう言った。
”とめてくれるなおっかさん
背中のいちょうが泣いている
男東大どこへいく”
そんな彼らも高齢者となった。現役の東大生、日大生は、おとなしくなった。安田講堂落城まで、社会にはまだ、若者の反乱を許容する度量があった。未熟さを見守るおおらかさがあった。叫んだり戦ったりできるだけ、彼らはまだマシだった。
いまはもう、おとなが止めるべき、威勢のいい若者はいなくなった。
コドモのまま年をとっていくオトナが蔓延する国では、若者の抗議行動は夢のまた夢だ。これをニッポンの末期、最終段階と呼んでいいのか。
いや、闇はまだまだ、深まる気配だ。まだ、底は見えていない。
安田講堂は落城したまま、静まり返った本郷に、佇んでいる◼︎
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