新政府への強い反発から一転、明治政府の要人に 大勢に慕われた榎本武揚
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第33回 ~榎本武揚~
○人脈40%(正財 偏財)
人脈はさりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる星。中でも「正財(せいざい)」は、真面目な性格で人と信頼関係を築き、いい人脈を手に入れられる。一方の「偏財(へんざい)」は、誰に対してもお人よしで、ピンからキリまで幅広い人脈を持っているイメージ。誘いを断れないため、騙されやすい面も持つ。また、「正財」は結婚運の星、「偏財」は恋愛運の星である。いずれも持っている武揚は、さぞかし女性にモテモテだったのだろう。
確かに、武揚は大勢の人達と人間関係を築いた。有名なのは、黒田清隆だろう。戊辰戦争で旧幕府軍を率い蝦夷地を占領した武揚であるが、敗北を覚悟すると、オランダ留学時に入手した「海律全書」を新政府軍(敵軍)の参謀・黒田清隆に届けた。自分の命は二の次にして日本の国を思うその姿勢には本当に頭が下がるが、清隆も清隆でその返礼として酒樽を送ったという。その後武揚は投獄されるが、清隆は頭を丸坊主にして必死に武揚の助命嘆願を行い、2年半後に保釈。その後、政府の要職に就いている。この裏には、武揚と清隆の間に強い信頼関係があったことが伺えるが、一瞬でその絆を築いてしまう武揚は、一流の人たらしだったのだろう。
また、投獄された武揚のいた牢には、渡世人(とせいにん)といって、現在のヤクザのような人達もいたが、すぐに慕われて牢名主(ろうなぬし)になり、「先生」と呼ばれていたという。誰にでも好かれる存在だったのだろう。
○行動力30%(正官)
行動力とは、頭で考えるよりも行動で結果を出す星。中でも「正官(せいかん)」は、真面目で責任感が強く、プライドが高い。仕事人間。
先に述べた「正財」と相まって、かなりの真面目人間だったのだろう。自分が正しいと思ったことを突きつめたい!一旦決めたら成し遂げたい!そんな性格の持ち主だったのだろうか。武揚は、オランダ留学から帰国後、幕府に召し出され軍艦頭となっている。(最終的には海軍副総裁)そこで、戊辰戦争に突入するわけだが、1867年幕府軍が勝利した阿波沖海戦の後、武揚は徹底抗戦を主張するも、恭順姿勢の慶喜は受け入れなかった。武揚は、プライドが高く行動派だったのだろう。勝海舟から江戸城開城の条件の一つである、旧幕府艦隊の引き渡しを要求されるもこれを拒否。なおも抵抗姿勢を示し、ついに脱走。旧幕府軍を率いて蝦夷共和国の総裁として、新政府と戦った。
脱走に際し、海舟に「檄文(げきぶん)」、いわゆる趣意書を託している。武揚の「檄文」を読むと、いかに責任感の強い人物だったかが伺える。(筆者の意訳で恐縮だが…)内容は下記の通りだ。「王政復古は私も希望するところであるが、明治政府により我々は汚名を着せられ、旧幕臣は生活できない状態になっている。今一度しっかりした気持ちを持って天皇のもと欧米列強と肩を並べていかねばいけない。世の中のあるべき姿の道を貫こうと考えている人は、我々と一緒に戦おう」つまり武揚は、新政府の一方的で周りを顧みないやり方に異を唱えようとしたのだ。
○自立心30%(劫財・比肩)
自分の信じた道を突き進み、リーダーシップを持っている星。中でも「劫財(ごうざい)」は、欲しいものはどんな手を使っても手に入れようとする策士。組織を上手にまとめることができて、会社の社長に向いているタイプ。「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人気質。強い自立心を持っている。
蝦夷共和国の体裁を整えるために、武揚はアメリカの政治を取り入れ、日本で初めての公選入札(選挙)を行った。その背景には、旧幕府軍には、元大名クラスも参加しており、君臣関係が複雑であったことがある。その結果、武揚が最大得票を得、総裁の役職別選挙でも最大投票を得た。なお、この選挙により、総裁に武揚、副総裁には旧幕臣の松平太郎、陸軍奉行に大鳥圭介、陸軍奉行並に土方歳三が就いている。名だたる志士の中で行われた選挙結果からもわかるように、武揚は総裁としてのリーダーシップがあり、皆に慕われていたのだろう。
○知性0%
意外にも知性に関する星を持っていなかった。しかし、これは少し納得できる部分があるだろうか。昌平坂学問所で学んだ武揚だが、卒業時の成績はほとんどの科目が「丙」だったそうである。つまり、「甲」が「A」だとすると、「乙」が「B」、「丙」が「C」、「丁」が「D」となるが、「丁」は落第という意味があるため、ほとんどが「丙」だった武揚は、ギリギリの成績で何とか卒業したということである。