裏原からクールジャパンへ〜1990-2000年代〜【5分でわかる国産ブランド興亡史(3)】
【5分でわかる国産ブランド興亡史③】1970年代以降、日本人デザイナーによるファッションブランドの軌跡。
これまで日本のファッションが西洋をはじめとする世界のシーンに影響を与えてきた歴史こそ、クールジャパンの始まりかもしれない。ここでは1970年代以降、日本人デザイナーによるファッションブランドが、次々とヨーロッパのファッションシーンに影響を与えていった軌跡を、全3回にわたり振り返っていきたい。
第3回は1990年代〜2000年代。二人の男を中心に勃興した裏原ブーム、そして'00年代に入り「クールジャパン」「KAWAII」などで日本のファッションが世界に輸出される前夜までを振り返る。
裏原ブームからクールジャパンへ
多様化とグローバルの始まり
ヘルムート・ラングなどのシンプルで無駄のないファッションが流行した'90年代。ヒップホップやグランジなど、モード以外のスタイルが世界的にトレンドとなる中で、日本では裏原宿、通称「裏原(ウラハラ)」と呼ばれるブームが勃興。ストリートファッションが隆盛を極めていった。
その先駆者であり、のちに世界的にも評価されたのが、「UNDERCOVER(アンダーカバー)」の高橋 盾と「A BATHING APE(ア・ベイシング・エイプ)」のNIGO®だった。文化服装学院在学中にすでにUNDERCOVERを立ち上げていた高橋が、NIGO®とともに1993年にショップ「NOWHEAR(ノーウェア)」を裏原宿にオープン。同時にNIGO®はA BATHING APEをスタート。その後、'94年にはUNDERCOVERが東京コレクションに参加し、'03年にはパリコレデビューも果たし世界進出。一方、A BATHING APEは、猿の顔を迷彩柄に取り入れたオリジナルのカモ柄(ベイプカモ)が世界的なアイコンになり、彼自身も世界中の雑誌で表紙を飾るようになる。
その後、2000年代に入ると、ファッションの多様化がさらに進み、ファストファッションなどこれまでにない流行も誕生。その中で「クールジャパン」の名の下、多くの日本ブランドが「同時多発的に」世界に発信する時代に突入した。
2005年春夏に阿部潤一が「Kolor(カラー)」、2006年秋冬からはデザイナー相澤陽介のもと「White Mountaineering(ホワイト マウンテニアリング)」で、それぞれコレクションを開始。2009年春夏からは、1999年に阿部千登勢が設立した「sacai(サカイ)」がメンズコレクションをスタート。それぞれ’10年代に入り、パリコレやイタリアなどで活躍する世界的ブランドへと成長していった。
2018年現在、今も数多くの新興ブランドが次世代の覇権をめぐり群雄割拠の状態。そんな中、UNDERCOVERは'10年にナイキ、'12年にユニクロとブランドコラボを積極的に展開。一方のA BATHING APEはNIGO®がブランドを離れたが、彼自身は現在、アディダスやUTなど幅広いブランドにも関わるなど、今もなお'90年代の2大アイコンが'10年代のファッションシーンにも多大な影響力を及ぼしていることを最後に付け加えておきたい。