クーデターが起こると知りつつ静観 日本の行く末を真に案じていた江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第34回 ~徳川慶喜~
○60%と圧倒的な「人脈」の持ち主(偏財2つ)
「人脈」はさりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる星。中でも「偏財(へんざい)」は、誰に対しても優しくピンからキリまで幅広い人脈を持つ。人が良すぎるため、騙されやすい面も持つ。命式表の中でも、主星と自星といった大事な部分に、2つも「偏財」を持つ慶喜は、裏表のない性格の持ち主で、さぞかし気遣い屋さんだったのだろう。
慶喜は孝明天皇と強いパイプを築いていたようである。孝明天皇といえば、言わずと知れた、攘夷論者。孝明天皇が日米修好通商条約の勅許を与えないが故に、「通商条約は違勅調印」として攘夷論者が内戦を起こし、蛤御門の変にまでつながった。その孝明天皇を説得し、条約勅許と兵庫開港を獲得したのが、慶喜だ。慶喜は、四国(イギリス、フランス、オランダ、アメリカ)公使との交渉の最中、「条約勅許がない場合戦争になる。そうなった場合、敗戦は明らかであり、我が国は外国の属国となり、皇位の安泰も難しい」と熱弁を振るい、さらには「ここまで申し上げても御許可を頂けなければ切腹する」と公卿衆と孝明天皇を説得した。孝明天皇は難しい性格だったようだが、気遣い屋の慶喜に気を許していたのだろう。
また、外交に力を入れた慶喜は、自分の写真を複写し、海外に送った。世界的に、当時、写真は名刺代わりのようなもので、ナポレオン3世やビクトリア女王にも自分の写真を送り、相手からも写真を受け取った。それまで、将軍が自分の姿を晒すことは嫌悪されていたが、慶喜は世界中の幅広い人脈を手に入れようと、自らの姿を外交に利用した。裏表がなく、人好きだったのだろう。
○行動力30%(正官、偏官)
「行動力」は頭で考えるよりも行動で結果を出す星。「偏官」は攻撃的、行動的、野性的、いわゆるガツガツタイプであり、「正官」はプライドが高く真面目で仕事人間のイメージだ。
鳥羽伏見の戦いにおいて、逃げ出したイメージの強い慶喜であるが、第一次長州征伐では、自らが出陣し完勝している。「偏官」も「正官」も持っているところから見て、どうやら世の言う「臆病者」というわけでもなさそうだ。
○遊び心10%(傷官)
遊び心の星である「傷官」を持っている人は、芸術性が高く、頭がよく交渉能力が高い。男性で持っているとナイーブな面があり、起伏の激しい星でもある。
王政復古の大号令(クーデター)により権威を失った慶喜は、静岡で趣味人の生活を送った。鷹狩、乗馬、銃猟、弓道等の体力系や、囲碁、謡曲、刺繍、油絵等の文化系など、その範囲は広いが、殊に写真に造詣が深かったようである。写真家・徳田幸吉氏に写真技術を学び、写真愛好家雑誌「華影(はなのかげ)」にその写真を投稿した。2等を取ったこともあるという。元将軍ということで忖度があった…ということもないとは言い切れないが、趣味を突きつめられる、さぞかし芸術性の高い人物だったのだろう。
○自立心0%
慶喜は、自立心、自分が信じた道を突き進む強い精神性を持っていなかった。何となくわからない気がしなくもないが…慶喜は自分の信念を強く持っているというよりは、周りの様子を見て、その時その時でベストな選択をしてきたのだろうか。敢えて戦いを避け続けたのは、いい意味で、自分自身の感情に左右されず時を読んでいたと言えるかもしれない。