対話の本質とは「悪」である。コミュニケーションにおいて意識すべきこととは【福田和也】
福田和也の対話術
いわゆる「いい人」というのが、みなさんの周りにもいると思います。
善人という種族は、自分で自分がいい人だと思っている。たしかに彼ないし彼女は、人にたいして悪を企(たくら)まないかもしれない。あるいは何事も人に善かれと思って、すべてのことをしているかもしれません。
でも、当然のことながら、善かれと思ったことが、良い結果を生むとは限らないのが、人間の世界です。むしろ、ある人の善意なり親切(と思ってなされること)が、相手にたいして大変な迷惑をかけたり、損害を与えたりすることが少なくありません。
かつて阪神大震災の時に、全国から被災地にたくさんの救援物資が送られてきました。ところがその中には、さしあたって需要のない古い布団や古着なども含まれていて、救援物資の受け入れ元の自治体が困惑し、よく考えて送ってほしい由の声明をしたところ、善意で送っているのに、と逆に反発、抗議を受けたそうです。ことほど然様(さよう)に善意の人たちは御し難いものなのです。
そうした時に善人はどうするか。彼らは自らの善意に盤石(ばんじゃく)の自信をもっているので、相手の被(こうむ)った迷惑にたいして、ほとんど認識をしない、あるいは時に指摘をされると、自分は善かれと思ってやったのだ、と開き直る。
善意というのは、自己肯定のためのアリバイなのですね。善人であることによって、人はこのきわめて錯綜した世界において、自分を完全に守ってくれる便利な云い訳なのです。「だって、私は善かれと思って」と云えばすべてが許されてしまう、許されると思っている。私の経験からしても、人を傷つけたり、裏切ったりして、一番平然としているのが、「いい人」たちです。
それに対して悪い人というのは、世界の複雑さを前提に生きています。善をなすにも、悪をなすにも、この世は容易ではないということを知悉(ちしつ)している。
だから、それをどう受け止めるかは別として、他人の反応にたいして敏感であるし、何よりも自分がすることにたいして、善を働くにしろ、悪を働くにしろ、意識的なのです。
意識的であるということが大事なのですね。つまり自分は、イノセントで無垢(むく)な存在ではない、と認識することですね。それは当然、大人であるということでもあります。自分が善人だとか、無垢だとか、世間を知らないとかいったことにこだわって、それによって許されると思っているのは、すべて同様の、子供っぽい、幼稚な思い込みにすぎないのです。
私はこういう人に身近にいてほしくないですね。鬱陶(うっとう)しいし、迷惑ですから。迷惑でなくても話がまだるっこくっていけない。
というわけで、めでたくみなさんも、一人前の悪人として、私と対話術の世界に入っていくわけですが、ここでまず心得ていただきたいのは、悪というのは中途半端ではいけない、ということです。
例えば、世に「したたかな女」というのがいますね。セイタカアワダチ草なみに、いろんなところに繁茂しています。
「したたかな女」というのは、解りやすい「悪」を発揮している人です。
つまり、力のある人間に媚(こ)びたり、あるいは同僚の歓心を買うといったことを、非常に見え透いた、つまり可愛い子ぶったり、色気を出したり、気があるように見せかけたりすることで実行する。
こういう女性は、確かに悪の意識はもっているのですが、その意識化が非常に半端である、あるいは行き届いていない。
だから本人は、巧くやっているつもりなのに、周りで見ていると、あまりにも露骨で、バカバカしく、アホらしく見えてしまう。見るからに不愉快である。
なぜ、「したたかな女」が嫌われるかというと、意識が行き届いていないからです。悪ではあるけれど、それが一方向しか向いていない。つまり、自分が媚(こび)を売ったりすることについては、それなりに意識的ではあるけれど、それが第三者の目に、どう映るかといった意識がまるでないのです。
そこが見ていて、苛立(いらだ)たしいし、間が抜けて見える。
意識というのは徹底しなければなりません。あらゆることに意識的であろうとする努力を自分に課さなければなりません。
そんなことをしていると、自意識過剰で病気になってしまう、と思うかもしれません。確かにそうですね、大人の道は厳しいものです。心弱い者には、歩き難い。
しかし、一度成熟をめざして歩き出したら、止(とど)まることはできないのです。あなたは、あの「したたかな女」の、無様な無神経さに耐えられますか。もしも否であれば、やはり意識を研(と)ぎ澄まさなければなりません。
その徹底した意識に裏打ちされた自信こそが、つまりは自信の意識的表現が、対話術の神髄なのですから。
(『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』の本文より一部抜粋)
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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」