【51年前の今日、大阪万博開幕】1970年3月15日「世界の国からコニャニャチワ」《最終回:もう五輪と万博では取り戻せない日本》
平民ジャパン「今日は何の日」:16ニャンめ
◼︎万博・ドリフ・少年マガジン・ロックそしてゲンパツ
その混雑がピークにあった8月、万博会場への送電が関西電力美浜原発第一号機から行われれた。万博は被爆国のネガを、原子力平和利用のポジに反転させる使命も負っていた。世界を相手にする大阪万博のテーマは、科学文明と現代世界の矛盾と向き合うはずだったが、日本語独特の言い換えによってそれは無害化され「人類の進歩と調和」という美辞に着地した。
とはいえ、日本人がみな『世界の国からこんにちは』を歌って、翼賛体制になびいていたわけではない。テレビではドリフターズとコント55号がナンセンスな笑いでしのぎを削り、ラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」は孤独な若者に音楽とメッセージを届け、新しいコミュニティを産み出していた。テレビCMは昭和の価値観満載の「男は黙ってサッポロビール」や「女房よろこぶハウスジャワカレー」が流れつつ、富士ゼロックスの「モーレツからビューティフル」が時代の転換を表現した。
いまでは世界に誇る日本のキャラクターとなった「ドラえもん」は1970年1月から小学館の低学年誌で連載が始まった。「巨人の星」と「あしたのジョー」を擁する『週刊少年マガジン』は1967年、すでに100万部を突破していた。テレビアニメはスポコン全盛期にあり、「巨人の星」「タイガーマスク」「アタックNo.1」に加えて、出崎統の監督デビュー作品「あしたのジョー」、「赤き血のイレブン」「男どアホウ甲子園」「キックの鬼」が放送された。
60年代後半、全共闘運動の盛り上がりと軌を一にして大流行したグループサウンズ(GS)はすでに下火となって、万博翌年にはタイガース、スパイダーズをはじめ、ほとんどが解散、テレビ局、レコード会社、芸能プロが一体となって創り出したGSブームは終焉する。1969年、アメリカ・ニューヨーク州の田舎に40万人を集めたロックフェス「ウッドストック・フェスティバル」がすでにカウンターカルチャーの伝説となっていた。同じ夏、岡林信康や高石ともやと関西のフォークシンガーを中心に「全日本フォークジャンボリー」が岐阜県中津川市で開催され、3000人を集めた。70年にはその第2回が開催され、赤い鳥や浅川マキの関東勢も加わって、観客は8000人となり、翌71年の第三回では3万人を超える史上空前のミュージックフェスとなった。
吉田拓郎は六文銭と「人間なんて」を2時間かけて歌った。ロックはまだマイナーだったが、ウッドストックの日本版を目指して海外からトップアーティストを呼ぶ「富士オデッセイ」も計画された。幻に終わったが、野外フェスの萌芽はこの時代に見られ、新しいミュージックシーンが生まれていく。
◼︎「怨歌」スター藤圭子——70年代の光と影
1970年は「黒猫のタンゴ」と「ドリフのズンドコ節」がシングル売上げではトップにあったが、トータルで断トツだったのは藤圭子だった。「女のブルース」と「圭子の夢は夜ひらく」はオリコンの1位・2位を占め、ファーストアルバム「新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて」は万博開催期間と重なる3月から8月の20週にわたってLPのトップを維持、続くセカンドアルバム「女のブルース」、クールファイブとの混成アルバムと続いて、41週にわたって1位を占めた。暗い生い立ちを表情を変えずに歌う姿は作家・五木寛之をして演歌ではなく「怨歌」と言わしめ、評論家・草森紳一は「白けて吠える遠い目」と表現した。万博の熱狂と陶酔の一方で、日本は藤圭子の暗く悲しい歌を聞いていた。
山田洋二監督の映画「家族」(1970年)では貧しい一家が長崎から北海道に移住する旅の途中の風景に、万博が重要なモチーフとして映り込む。のちに、いましろたかしの漫画「デメキング」(作品連載1991年)では、ありもしない怪獣と戦う男の素っ頓狂な生き様を背景に万博がちらほらと描かれる。浦沢直樹の漫画「20世紀少年」では、1970年の無邪気な小学生たちが終末の兆しを感じ、停滞した約30年後(作品連載当時1999年~2006年)の日本の大人として生存する。いずれも、この時代の光と影の心象を万博が象徴する。
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