「逃げの小五郎」はなぜ逃げたのか?「和して同ぜず」を貫いた木戸孝允 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「逃げの小五郎」はなぜ逃げたのか?「和して同ぜず」を貫いた木戸孝允

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第36回 ~木戸孝允(桂小五郎)~

 続いて、十二運星を見ていく。

「胎(たい)」

 好奇心旺盛で様々なことに興味を持つが、飽きっぽい。新規開拓が得意で、新しいことに挑戦するのが好き。
「散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」という都都逸(どどいつ)のフレーズがあるように、丁髷(ちょんまげ)について西洋人は「ピストルを頭に乗せている」「豚のしっぽ」と揶揄し「野蛮な国」の象徴としてバカにした。孝允は髷を落として西洋風の髪型にすることが、文明開化の先駆けと考えたのだろう。自らいち早く断髪し、国民に推し進めた。しかし、当時の武士は髷に絶対的なプライドを持っていたため、なかなか浸透せず、「断髪した夫とは暮らせない」と各地で断髪離婚が起きたり、一揆にまで発展したりした。

「このままでは文明開化に乗り遅れてしまう」と危機を感じた小五郎は、「明治天皇が髷を落とせば皆断髪するに違いない」と考え、明治天皇と近い存在であった、公家の岩倉具視を断髪させ、明治6年、明治天皇が断髪を宣言するに至った。
 小五郎が断髪にこだわったのは、日本の行く末を案じたこともあろうが、その裏にはいち早く新しいものに飛びつきたい!そんな思いもあったのだろうか。

「衰(すい)」

「長老」の意味を持ち、村を束ねるリーダーのイメージ。幅広い視野を持ち、喧嘩の仲裁に入るのが得意。
 激しい攘夷論を展開する長州藩士の中にいながら、何とか藩士をなだめ、リーダー役をやっていたのだから、皆から慕われる、長老のような視野を持っていたのだろう。

「沐浴(もくよく)」

「少年」の意味を持ち、思春期の中学生のように突然何をしでかすかわからない少しトリッキーな星。海外や放浪生活が好きで、浮気性、芸術の星でもある。何を考えているかわからないその感じが魅力的でもある。
 まさに「逃げの桂」の象徴でもありそうな星だが…そんな孝允にとって岩倉使節団の全権副使の仕事はうってつけだったのだろう。1年10カ月の間、アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ…と欧米諸国を周り、アジア諸国の植民地(シンガポール、サイゴン等)を視察した。日々職務に追われストレスを抱える孝允にとってやっと羽を伸ばせた時間だったのかもしれない。これらの経験が、その後、日本の近代化を推し進めるきっかけになっている。

 全体を通してみてみると、孝允はとっても真面目な国家公務員タイプでありながら、何をしでかすかわからない危うい部分を持っていた。そう考えると、「逃げの桂」と揶揄された所以が見えてくる。しかし、もし仮に池田屋事件の際、孝允が池田屋に戻っていたとしたら、「木戸孝允」はいなかったかもしれない。となると、明治時代から繋がる現制度が未だ整っていなかったかもしれない。当時、孝允がどんな思いで逃げたのかわからないが、「出る杭は打たれる」という日本人の風潮の中、「和して同ぜず」を貫いてくれたその勇気をありがたく思う。

明治2年(1869)年頃の木戸孝允 写真/国立国会図書館

京都の料亭「幾松」(木戸孝允と幾松の寓居跡)にて
■四柱推命とは?
 古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
 具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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