なぜ今「カミュの死生観」が心に響くのか?【呉智英×加藤博子】
呉智英×加藤博子の「死と向き合う対話」
■「本当の幸せとは何か」を問いかけた面白い作品とは?
『異邦人』の一つ前の習作のようなものですが、『幸福な死』という作品があります。主人公はメルソーといいます。ムルソーに似ているし、同じような不条理感もある。
アルジェの青年メルソーは恋人マルトに紹介されて、両足を失ったザグルーと知り合う。ザグルーは、「お金がなくては、だれも幸福になることはできない」と言う。「幸福になるには時間が必要だ。たくさんの時間がね。そして、ほとんどすべての場合、僕らは自分たちの人生を、お金を稼ぐことに費やしてしまうんだ。本当なら、お金によって時間を買わなければならないときにね」。幸福になるための時間を得ようと財産を貯め続けたザグルーは、莫大な富を手に入れ、これから幸福になろうという矢先、事故で両足を失ってしまう。メルソーは、ザグルーを自殺に見せかけて殺し、そのカネを奪う。こうして大金で自由に生きる時間を手に入れたメルソーは、文通相手だった女の子たちと共同生活に入る。しかし、ここにも嫉妬などの感情が入り込んできてしまい、心から幸せで平穏な生活には程遠かった。メルソーは、一人で住む家を買い、禁欲的な孤独な生活に入る。そして、やっと彼は「幸福な死」を迎える。
カネを貯めまくっていた男が、障碍者になり、生きていくことが嫌になった。それで、貯め込んだカネをメルソーにやるから、好きなように生きろといって、死んでいく。カネがなくては誰も幸福になることができないと思っていた男が、メルソーにカネを残して死んでくれるわけです。メルソーは最初のうちは酒池肉林です。好きなように女を侍らせ、楽しくやるが、すぐに飽きる。最終的にメルソーは、一人で孤独で暮らします。そして思索にふける日々が最も幸せだと思い、死んでいく。本当の幸せとは何なのかを問いかけた面白い作品です。
(続く)
※呉智英×加藤博子著『死と向き合う言葉:先賢たちの死生観に学ぶ』(KKベストセラーズ)より本文一部抜粋改編)
【著者略歴】
呉智英(くれ・ともふさ/ごちえい)
評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。
加藤博子(かとう・ひろこ)
文学者。1958年生まれ。新潟県出身。文学博士(名古屋大学)。専門はドイツ・ロマン派の思想。大学教員を経て、現在は幾つかの大学で非常勤講師として、美学、文学を教えている。また各地のカルチャーセンターで哲学講座を開催し、特に高齢の方々に、さまざまな想いを言葉にする快感を伝えている。閉じられた空間で、くつろいで気持ちを解きほぐすことのできる、「こころの温泉」として人気が高い。さらに最近は「知の訪問介護」と称して各家庭や御近所に出向き、文学や歴史、哲学などを講じて、日常を離れた会話の楽しさを提供している。著作に『五感の哲学——人生を豊かに生き切るために』。
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