柏木陽介の未来日記③ お母さんが最高の笑顔になる
「『銀メダル』なんていらなかった」
まさにワンチャンスでやられてしまった――。柏レイソルとのヤマザキナビスコカップ決勝戦のこと。
11月2日、国立競技場。あれから1週間がたった。時間がたったこともあるし、僕自身もともと切り替えることに時間がかかるタイプではないから、すでにリーグ戦を見据えている。
それでも……。思い出せば、どこかやりきれない、悔しさがこみ上げてくる。 みんなに「ナビスコカップ優勝」を報告できることを約束していたのに、それが果たせなかった。だから、お詫びというほどではないけれど、自分の気持ちを少しだけ書いてみたいと思う。
試合を振り返ると、前半は柏レイソルのカウンターに警戒をしすぎてしまって、なかなか縦パスを入れることができなかった。
自分たちのサッカーができたのは後半から。自分でも決められるチャンスもあったし、何度か決定的なシーンを作ることができた。
勝ちたいという気持ちは出ていたとは思うけれど……。
レイソルの選手は、主力選手のケガがあり苦しいやりくりだった、と試合後に言っていた。だけど、そのなかでもしっかりとうち(レッズ)対策をして守っていたレイソルに対して、自分たちのサッカーはできていたのに、1点すら奪えなかったレッズ。
これが勝敗を分けた。僕たちの力不足だったと思う。
誤解を恐れずに言えば、「銀メダル」なんていらなかった。
今でも家にあるけど、これは勲章ではない。悔しさの塊だ。それほど悔しくて、悔しくてたまらなかった。
僕が「優勝」にこだわっている理由を前回のコラムで2回に渡ってお伝えしたけれど、実はもうひとつ、みんなに言っていない理由がある。
それは、僕を育ててくれたお母さんに「優勝」をプレゼントしたいという思いだ。
「お母さんにかけた苦労」
僕はずっと小さい頃から「母子家庭」で育ってきた。
兵庫県に住んでいた柏木家はアニキと妹と僕の3人兄弟。
僕が小学4年生のときに両親が離婚。その数年後、お母さんは一度再婚して、僕らは2番目のお父さんと一緒に生活していた。
ただ、小学生高学年から中学校あたりまでの多感な時期を過ごす僕ら3人と、新しいお父さんの間には簡単には埋まらない溝があった。
それはアニキや妹も同じ気持ちだったんじゃないか、と思う。
結局、僕が中学3年生のときにお母さんは二度目の離婚を経験することになった。僕が中学3年生ということは、(このコラムを読んでいただいている方ならご存知のとおり)3年の三学期から通うこととなるサンフレッチェ広島ユースに行く時期だ。
親元を離れた寮生活には、当然のことながら安くないお金がかかる。
加えて、お母さんのもとにはまだ、大学進学を控えたアニキ、小学校6年生の妹がいた。
稼ぎ手は、お母さんひとり。女手ひとつで育てることは並大抵のことではなったはずだ。実際、3人ともものすごく活発で、やりたいことをやり抜きたいタイプだ。
振り返ってみると、本当にお母さんに苦労をかけたんだな、と思う。
正直に言うと、その当時はあまりお母さんの気持ちがわかっていなかった。僕は、サンフレッチェユースに行ってプロになってやる、っていう野心のほうが大きかったから。
お母さんの苦労というのは、プロになって、お金を稼ぐようになってようやく分かったことだ。
いまもお母さんを中心に、僕たち4人の絆は深い。だから僕のなかで、母子家庭というイメージはまったく悪くないし、むしろ自信になっている。
「お母さんへの恩返しのため」
決して経済的に余裕があったわけではなかったはずなのに、お母さんは僕たち3人の子どもを育ててくれた。
アニキは高校の先生になって、妹もママとして忙しい生活を送っている。そして僕は小さい頃からの夢だったサッカー選手になれた。
だからこそ、みんながそうであるように、僕にとってもお母さんは本当に特別な存在だ。当たり前のことだけど、母親がいなければ、僕自身もこの世に存在しない。産んでくれたことにすごく感謝しているし、いままで育ててくれたことにも、本当に感謝している。
いままで、自分はこうして素直に気持ちを打ち明けることができなかった。アニキは長男らしい性格で、お母さんに対してもストレートに気持ちを伝えられる。
一方、僕の場合はいわゆる内気な性格というべきか、「ありがとう!」という言葉を面と向かって言うのも、なんとなく気恥ずかしさを感じていた。
でも、20歳か、21歳になったくらいだろうか。
プロになって大人という年齢になって、ようやくお母さんへの感謝の気持ちを素直に持てるようになった。
経済的にも自立してお母さんに仕送りができるようになって、あとはサッカーを通してもっと恩返ししたい――。
そう考えれば考えるほど、優勝という金メダルをプレゼントしたいという気持ちが強くなっていったのだ。
敗れた後のひと言
だからこそ、ナビスコカップ。
プロになって初のタイトルを取れるチャンスが訪れていたのだ。あの日、お母さんを初めてスタジアムに呼んだ。
ナビスコカップ決勝の当日は、試合が終わったら一緒にご飯を食べることになっていた。そこで絶対に金メダルをお母さんの首へかけようと思っていたのに……。
「考えてもしょうがない。次頑張ろう!」
食事の場で、お母さんからそう声を掛けられてグッときたけれど、次こそは笑顔を見せて金メダルをかけたい! と心に誓った。
「母さんの本当の笑顔が見たい」
僕がこれまでかけてきた苦労はちょっとの笑顔では返しきれない。
優勝をして、お母さんが育ててくれた、耐えてくれたあの時間が、この優勝をもたらしてくれたんだよ、ってそう伝えたい。
このコラム、いつもグッとしたところで話が終わっているような……(笑)
2週間後も、もう少し僕を支えてくれた人について「未来日記」を書いてみたいと思う。では、またここで!
このコラムは隔週水曜日に更新されます。
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