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大坂冬の陣・本町橋の戦いを歩く

季節と時節でつづる戦国おりおり第339回

 大阪メトロ(大阪市営交通から4月1日に民営化!)堺筋線の堺筋本町駅をおりて東に5分強。東横堀川に架かるのが本町橋です。

写真は西詰から撮影。

 この本町橋は、慶長19年(1614)の大坂冬の陣で12月16日におこなわれた夜討ちの舞台になった場所です。
「夜討大将塙弾右衛門」と『前田家大坂冬陣日記』は記録しますが、弾右衛門こと団右衛門直之は豊臣家の家宰・大野治長の弟の治房に属しておりこの日丑の下刻(午前2時頃)に長岡是季(細川忠興の旧臣)らとともに城内からひそかに本町橋を渡って阿波の蜂須賀至鎮勢の陣地に奇襲をかけ、その際に「夜討ノ大将塙団右衛門」と書き付けた小札を撒き、「今夜の物頭、塙団右衛門」と大声で名乗って引き揚げたということです(『大坂御陣覚書』『阿府志』ほか)。今なら「名刺代わり」というところですか。団右衛門も是季も、それぞれ50騎を指揮する組頭で、夜襲の人数は他の組を合わせ300人ほどと考えられ、攻撃を受けた方の蜂須賀勢は3000ほどもいた筈ですから、団右衛門らの勇気と度胸は相当なもの。
 治房は城内の主戦派のリーダーでしたから、あるいは講和交渉をひそかに開始していた穏健派に対抗したか、または講和をより有利に進めるための条件闘争だったのかも知れません。

 

 本町橋が架かる東横堀川は、豊臣秀吉が大坂城の西の守りのために開削させた水堀の川で、現在は上を阪神高速道路が走っています。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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