満洲事変に「軍部」の「独走」など無い!
シリーズ②満洲事変を正しく知って賢くなろう
関東軍は、そもそも満鉄(南満洲鉄道株式会社)の守備隊です。ただし軍隊ですから、非常時は軍事行動をとってよく、それが本来の統帥権独立です。現在の自衛隊を想像するから、こういった組織は政府の命令がなければ何もできないと勘違いされる場合がありますが、「命令されるまでは殺されても攻撃するな」などというのは軍隊ではありません。
関東軍の脱法行為はパターンが決まっていました。満鉄が謎の敵に爆破されたらしい。どうやら張学良がやったらしい。では、自衛のために反撃します。政府が不拡大方針を全世界に発信します。その証明として関東軍は軍事行動をやめます。また謎の爆発がおきます。自衛のために反撃します。この繰り返しです。
時の若槻礼次郎首相が最初の段階で、「こんなものに予算は認めない」と言えば終わりでした。しかし、「日本人が拉致されたり殺されたりしているのに予算をつけないわけにいかない」というので追認となります。関東軍が脱法行為をやるたびに政府が追認してくれました。言ってしまえば、すべて若槻首相の責任です。逆に関東軍としては、若槻が初動の段階で強い態度だったらどうしたのか。打つ手なしです。
そんなことをしていると国際世論は、「いいかげんにせいよ」と言い出します。さすがの若槻内閣も「もう認めない」となって、政府は「おまえら、これ以上は行くな」と関東軍を引き返させて、国際世論を取り戻します。ところが、そこに政変が起きて内閣が総辞職、政治が停滞して関東軍が脱法します。ちなみに、このパターン、次の犬養内閣でも繰り返されます。
石原莞爾は確かに暴走しました。しかし、政府・陸軍・関東軍全体の動きから見れば、これは単なるドタバタです。石原は課長にすぎないのですからクビにしてしまえばいいだけの話でもありました。しかし、そうならなかったのは、石原らを処罰すれば、責任の追及が、陸軍全体、そして問題を放置していた外務省にまで及びかねないからです。
誰も処罰されたくない。そういった無責任な態度が、石原の「独走」じみた行動が許された理由です。
つまり、当時の日本は、政府も軍部も、全員で「お役所仕事」をやっていました。「お役所仕事」にかまけているうちに、わけのわからないまま大日本帝国は滅んだ、と言った方が正しいくらいです。
『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋
次回は、シリーズ③満洲事変に国際法違反は無い!です。
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