桂・ハリマン協定にまつわる誤謬
2ndシリーズ③「平和ボケ」日本の幕開け
日本の軍部独走・侵略史観に基づく悪玉扱い、逆の「日本は悪くなかった、悪いのは周りの大国だ」という日本小国史観、海外大国による外圧・陰謀史観。これらの歴史観はすべて間違いだ。『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』を上梓した倉山満氏が満洲事変の真実に迫る!
■桂・ハリマン協定を日本側が断ったから日米戦争になったんだ、という素っ頓狂な説
そもそも約束を破ったことが問題である、という話は通じません。こういう人たちを相手に日本は約束を守り続けました。
ポーツマス条約と北京条約の間に、「桂・ハリマン協定」という出来事があります。時の内閣総理大臣の桂太郎がアメリカの鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンと、日米共同で南満洲鉄道を経営しようという協定の覚書を交わしたというものです。
この桂・ハリマン協定を日本側が断ったから日米戦争になったんだ、という素っ頓狂な説があります。確かに日本は断りました。小村寿太郎外務大臣がこの協定を事後に知って強く反対し、破棄の説得に努めて、協定覚書は無効との旨をアメリカ側に伝えました。だから、「あのときハリマンと仲良くしとけば戦争にならなかったのにぃ~」と言いたいらしいです。挙句の果てには、小村寿太郎の清廉潔白さが災いした、とまで論難する人もいました(保守論壇の重鎮だったが、故人のため武士の情けで名を秘す)。
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