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平成は衰退だけの時代ではない? 平成5年は明るかった

キーワードで振り返る平成30年史 第14回

平成で最も明るかった年
~平成5年(1993)~

 

 一般的に戦前はずっと暗黒期だったと思われている。だが、それは間違いで戦前の日本が暗黒期に入ったのは昭和13年(1938)の国家総動員法制定以降のこと。それまでは戦時下といえど自由経済も守られていれば娯楽も禁止されてはいなかった。
 同じことは平成にも。確かに平成は日本にとって成熟から衰退へ向かう過渡期であり、この静かなる激動の時代に日本は人口減を迎え、家族、勤勉、実直といったそれまでの価値観を喪失しつつある。だが、そんな平成にも明るい年はあった。例えば平成5年だ。

 5月15日、日本スポーツ界の歴史に新たな一ページが刻まれた。日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグの開幕。野球一辺倒だった日本のプロスポーツに風穴をあけたのがサッカーだった。前年、広島開催のアジア杯で日本代表が初優勝という最高の流れで開幕。ジーコ、リネカーといったスターたち、ファンでなくサポーター、全日本でなく日本代表。サッカーに興味がなかった人々は目新しさに惹かれ、チケットはプレミアと化した。

 

 風穴をあけるといえば政治の世界にも大きな風穴があいた。自民党の下野、日本新党などからなる連立与党による政権奪取である。結党以来政権与党であり続けた自民党、だが前年の東京佐川急便事件以降高まっていた国民の政治不信を敏感に悟った政治家達は自民党を離れ続々と新党を結成する。父方に戦国大名の細川家、母方に五摂家の近衛家を持つ殿こと細川護煕率いる日本新党、ムーミンパパこと武村正義率いる新党さきがけ、竹下派から分裂した小沢一郎と羽田孜の新生党。そして7月18 日の第40回衆議院議員総選挙で自民党が大敗、一方で自民党を離脱した三新党は大躍進を遂げる。ここで策士小沢が非自民非共産で各政党をまとめ上げ、ついには細川連立政権を成立させた。
 後に祖父である近衛文麿と比較されることになる細川護煕だが、この時点では若さ、さわやかでクリーンなイメージ、知的なルックス、プロンプターを利用した演出など、何から何までが受け、多くの有権者を虜にした。

 音楽業界も元気だった。特に強かったのがビーイング系。歌詞は弱さを認めた上での前向きなメッセージ、キャッチーなメロディと多くのタイアップ。ZARD、大黒摩季、WANDS、T-BOLAN、B‘zといったアーティストによってカラオケで気持ちを込めて歌いやすい楽曲が次々リリースされCDも飛ぶように売れた。
 現在の皇太子殿下と雅子妃殿下のご成婚パレードがあったのもこの年のこと。横浜では高さが当時世界一の横浜ランドマークタワーが完成し、負けじと東京にもレインボーブリッジが開通。首都圏の発展を感じさせた。世界においてもビル・クリントンがアメリカ大統領就任、EU(欧州連合)発足など新たな時代の夜明けを感じさせる年だった。

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後藤 武士

ごとう たけし

平成研究家、エッセイスト。1967年岐阜県生まれ。135万部突破のロングセラー『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島社文庫)ほか、教養・教育に関する著書多数。


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