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大宮界隈・板倉勝重と松永久秀ゆかりの地へ【後編】

季節と時節でつづる戦国おりおり第347回

■法華宗(日蓮宗)大本山・本圀寺

 妙恵会墓地を後にして、ズイッと南に進むんで五条通りを渡って少し行きます。左手に大きな石碑あり。

 

 本圀寺跡の題目碑です。

 法華宗(日蓮宗)大本山の本圀寺は、永禄12年(1569)1月、織田信長によって擁立された将軍・足利義昭が仮御所として滞在中に三好党に襲撃された「本圀寺の変」で有名ですが、明智光秀らの必死の防戦と細川藤孝らの救援、信長の電撃的な救援出動によって事なきを得ました。「大筒の妙技」を持つ光秀(『綿考輯録』)は、自慢の鉄砲の腕を存分に発揮して敵を撃ち倒しまくったのでしょうか。

 本圀寺のかつての境内地の一角には、塔頭のひとつ勧持院があります。

 

 

 こちらは境内非公開ですが、松永久秀同様に法華宗の熱心な門徒だった加藤清正の宿所として使われ、清正ゆかりの井戸や庭が残るとか。是非一度拝観してみたいものです。

 門前の石碑には「清正公」の三文字。潔いといいますか、なんと申しますか(笑)。

 ここから東へ移動して堀川通りにぶつかり、さらに北へと歩いて旧堀川警察署の手前を左に入ると、すぐにまた本圀寺跡の題目碑が。

 

 さきほどの南西角の題目碑とこの北東角の題目碑の間はかなり離れていますが、実際の本圀寺の境内はそれよりさらに南北に広いものでしたから、その規模は雄大です。こんなところを防衛するのは、光秀にとっても大変だったでしょうね。

 本圀寺は昭和になって山科に移転し、16院の塔頭はこの地に残留して現在に至ります。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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