井上ひさし氏の娘が父に「配達されない手紙」を書く理由
悲しみを超えるたった一つの覚悟
■いないはずの「父への手紙」
今、私は何か本当に嫌なことがあると、いないはずの父に手紙を書く。この習慣はもう五年ぐらい経つだろうか。「こんなことがあるからぜひ答えを欲しい」、「こんなことがあるからどうにかしてほしい」と配達されない手紙を自分の机の後ろに書いては投かんする。
投かんしてももちろん翌日も手紙はそこにあるのだが、もしかしたら届いているのではないかと思うこともある。ある日突然問題がクリアになったこともあるので、真剣に父に手紙を書いているのだ。もう三〇〇通くらいになっている。
もちろんお願いしたことがちゃんと叶った時は、お礼のお手紙も書いている。時にはなじるような手紙もある。それを書いている時は親が死んでいようがいまいが関係ない。ありのままを書いてそのまま封をしっかりと閉じてやっと前に進んでいるような気持ちだ。
私の中で手紙というのは特別なものだ。手紙を書くことで自分の思いを伝えることは人間の基本だと思うから。だからいつもどこでも手紙を書くことを忘れない。
そういえば忙しかった母に毎日手紙を書いていた。小学校三年生から六年生の間に。いや、もっと大きくなるまで母が遅くまで仕事の時は必ずそれを母に届けた。
「世界で一番大好きなママへ」と書かれた手紙の中には、今日あったこと、どのくらいママのことが好きかということ、ママも仕事を頑張ってほしいということが書かれてあった。
実はその頃、私は私で幼い中でもいろいろな悩みがあった。逆上がりができないこと、国語は得意なのに算数がまったくできないこと、男の子たちにいじめられること、学校が嫌いなこと、様々な悩みがあったのに、今ほど正直にそれを書くことができなかった。いつもいいことばかり書いては母に届けているので、母はきっと私が普通に学校生活を送っていると思っていただろう。
- 1
- 2