人を説得することは可能なのか?【中野剛志×適菜収】
中野剛志×適菜収 〈続〉特別対談第2回
「新型コロナは風邪と同じ」「自粛する日本人はバカだ」……。真面目に生活している人に「自粛厨」「コロナ悩」などとレッテルを貼る学者や言論人がのさばってきた。評論家・中野剛志氏と、作家・適菜収氏が語りあった書、新刊『思想の免疫力』が8月10日に発売(Amazonは12日)になる。ここで語られるテーマは深く、そして永遠のテーマだ。「知識人が陥りがちな罠」とは何か? それは言葉を持った人間の宿痾とも言えるものだった……。
■人を説得することは可能なのか?
適菜:小林秀雄は、若い頃は人を説得しようとすることが多かったそうです。それで相手を叱ったり、非難したりしていた。でも年を取ったら丸くなっちゃった。「丸くなった」という言い方が適当か分かりませんが、説得は無駄だと思うようになった。小林はこう言っています。
《僕は、とにかく人を説得することをやめて 二五年くらいになるな。人を説得することは、絶望だよ。人をほめることが、道が開ける唯一の土台だ》(「文学の四十年」)
《ずいぶん昔のことだけど、サント・ブーブの「我が毒」を読んだ時に、黙殺することが第一であるという言葉にぶつかったが、それが後になって分かったな。お前は駄目だなんていくら論じたって無駄なことなんだよ。全然意味はなさないんだ。自然に黙殺できるようになるのが、一番いいんじゃないかね》(同上)
これはどういうことなのか? 最終的には脳の構造の問題とか、体質とかの話に行き着いてしまうのかもしれない。オウム真理教に騙された人も、ばかだから騙されたのではない。インテリも大勢騙されている。なにかを「正義」だと思い込んでしまった集団が特定の世界観の中で暮らすようになると、外からの声は聞えなくなる。それで自分たちはいわれもない誹謗中傷を浴びていると被害妄想を膨らませる。
それこそ、ウイルスを排除する免疫体系みたいなもので、本当に何を言っても無駄ということになる。今回の新型コロナ騒動においても、これまである程度まともだと思っていた人が、急速におかしなことを言い出したり、陰謀論にはまっていった。中野さんはこれをどう考えますか?
中野:人を説得できないということについて、思い当たることがあります。『小林秀雄の政治学』(文春新書)でも書きましたが、言葉の問題ですね。小林は大正時代に青春を過ごしているので、西田幾多郎の影響を受けたと思うんですが、その西田がしきりに言ったのは、主観と客観は完全に分けられないということ。これは、オルテガも言っていることだし、小林も書いていますけど、人というものは個人とその周囲の環境、両方のことだ。あるいは、人が環境を作り、環境が人を作ると言ってもいい。だから、主観と客観は分けられなくて、その人はその人の境遇とか、育ってきた環境とか、もろもろその人にしか経験していないことでできている。その人の価値観とか思想とかも、本当はその人の生に固有のものとしてある。ただ、人間はコミュニケーションをしないと生きていけないので、言葉というもので自分の意思や経験をある程度切り取って抽象化して相手に伝える。そうやって、コミュニケーションをとるけれども、実際の自分の本当の意思や経験を伝えるのは不可能なんです。なぜなら、言葉で伝えられるものには限界があるからです。これは以前の対談の小林秀雄論で語ったように「物事を伝えるのに、言葉をいかに工夫するか」というようなこととつながってくる話です。
オルテガやミードを読んでいたら出て来たのですが、西洋人の慣用句なのか知らないけれど「自分の歯の痛みは人には分からない」という表現がある。「歯が痛い」とか「ズキズキする」とか、いろいろな言葉で人に伝えるけれども、本当にどの程度痛いかとか、自分が感じているダイレクトな感覚のところは言葉では表現できない。そう考えると、自分と根本的に違う人間を説得したり、価値観を共有したりするのは不可能だということになる。なぜなら説得は言葉でやるものだけれど、言葉は自分の考えを正確に伝えられないから。身も蓋もない話なんですけれどね。
適菜:そうですね。話せばわかるとか、言葉ですべてが説明できるというのは傲慢な発想です。小林はこう言っている。《批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。それが、シチュアシオンの感覚だと言っていい。私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている》(「読者」)。「シチュアシオン」は英語で言えば「シチュエーション」ですね。これを小林は「現に暮らしているところ」と訳しました。
中野:自分の本当に言いたいことはどんなに言葉に尽くしても表現できないし、相手だってそれを正確には絶対受け取らない。だからこの「歯の痛みは人には分からない」という表現は、ある意味、言葉とか思想とかを考え尽くした西洋の哲学者が恐ろしいことに気付いたということでしょう。要するに、人は絶対に分かり合えない。それがさっきの「私立」という言葉にも戻ってくるわけです。つまり、これは西洋に限らない。中江藤樹も「天地の間に己一人生きてあると思うべし」と言ったわけです。要するに、最後はよくよく突き詰めると孤独なんだ、分かり合えないんだ、というような感覚ですよね。だから、説得なんてものは結局のところ不可能と言っていい。
適菜:身近なところにいた人がおかしな考え方にはまっていくというケースは一般にもよくあることだと思います。家族がマルチ商法や新興宗教にはまったとか、おじいさんにパソコンを買ってあげたらネトウヨになっちゃったとか。そういうときに、なにができるのかという問題は考えておかないといけない。
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「新型コロナは風邪」「外出自粛や行動制限は無意味だ」
「新型コロナは夏には収束する」などと
無責任な言論を垂れ流し続ける似非知識人よ!
感染拡大を恐れて警鐘を鳴らす本物の専門家たちを罵倒し、
不安な国民を惑わした言論人を「実名」で糾弾する!
危機の時にデマゴーグたちに煽動されないよう、
ウイルスに抗する免疫力をもつように、
確かな思想と強い精神力をもつ必要があるのです。
思想の免疫力を高めるためのワクチンとは、
具体的には、良質の思想に馴染んでおくこと、
それに尽きます。――――――中野剛志
専門的な医学知識もないのに、
「コロナ脳」「自粛厨」などと
不安な国民をバカにしてるのは誰なのか?
新型コロナに関してデマ・楽観論を
流してきた「悪質な言論人」の
責任を追及する!―――――――適菜収
●目次
はじめに———デマゴーグに対する免疫力 中野剛志
第一章
人間は未知の事態に
いかに対峙すべきか
第二章
成功体験のある人間ほど
失敗するのはなぜか
第三章
新型コロナで正体がバレた
似非知識人
第四章
思想と哲学の背後に流れる水脈
第五章
コロナ禍は
「歴史を学ぶ」チャンスである
第六章
人間の陥りやすい罠
第七章
「保守」はいつから堕落したのか
第八章
人間はなぜ自発的に
縛られようとするのか
第九章
人間の本質は「ものまね」である
おわりに———なにかを予知するということ 適菜 収