知性と品位がある自由人マリー・アントワネット
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第41回 ~マリー・アントワネット~
「衰(すい)」:長老の星
村をまとめる長のイメージで客観的にものを見るのが得意。長老的な役目を持ち、知識が豊富。慎重に行動し、地味な生活が好き。引っ込み思案で謙虚な態度の持ち主。アントワネットはこれを2つも持っており、この性質が強まっていた可能性がある。
華やかな衣装を着て、表舞台を好む印象のあるアントワネットだが、この星を2つも持っているとは意外である。アントワネットは、ルイ16世から離宮・プチ・トリアノンを贈られると、格式ばったフランス式庭園とは異なる、野性的なイギリス庭園を造らせ、大きな岩や滝、洞窟を配した、田園風景に作り変えた。アントワネットは、そこに親しい友人だけを招き、素朴な生活を送った。ゆったりしたドレスに着替え、髪を下ろし、麦わら帽子をかぶることもあった。
また、プチ・トリアノン内に劇場を作り、自ら舞台に立った。演目は軽い喜劇やミュージカル仕立ての芝居でだったが、アントワネットは農民など、身分の低い役を好み、「国王と農夫」では羊飼いの娘、「思いがけない掛け金」では小間使い役を演じた。
アントワネットは、オーストリア・ハプスブルク家に生まれ、フランスに嫁ぎ、王妃となることを定められた運命だったが、このようなプライベートに触れると、もしかしたら、プチ・トリアノンでの生活のように、田舎でのんびり暮らすことを望んでいたのかもしれないと思う。
アントワネットは、言われのない罪で死刑判決を受け、死刑場であった、革命広場(現在のコンコルド広場)へと送られた。到着したアントワネットは、誰にも身を支えられずに、身軽に馬車から降り、毅然とした態度で処刑台の階段を上がり、死刑執行人に身をゆだねた。デュ・バリー夫人がそうしたように、泣き叫んだり命乞いをしたりしてもよさそうなものであろうが、毅然とした態度で死刑台に向かうあたり、品位を守るために何をすべきかを客観的に心得ていたのだろう。アントワネットは今や悲劇の王女として世界中から注目されるが、この最期こそがアントワネットの気品を高めた一つの要因であったように感じる。
「死(し)」
神通力があり、ウソを見抜ける。霊感があり、直観力を持つ。ゼロから何かを作ることができ、宗教哲学が好き。
一昨年から去年にかけて東京で「マリー・アントワネット展」が開催された。40万人を超える来場者が訪れ、絵画や美術品を見ながら彼女の一生を振り返った。私も2度訪れたが、華やかで美しい王族の世界に触れ憧れを抱きつつ、そこから一転、フランス革命の悲劇には胸が押しつぶされそうになった。悲しさのあまり涙が出そうになるのを懸命にこらえながら、しばらくその場から動けなくなってしまった。同じような経験をした人も多かろう。
1993年、アントワネットの200回忌が行われ、処刑台の跡地では2000人の市民が黙とうを捧げた。他方パリのポルト・ド・ヴェルサイユの体育館では、劇を見に訪れた観衆によって、改めて裁判が行われた。その結果、国外追放の刑1700票、無罪970票、禁固刑500票で、死罪はたったの400票だった。この事実に私たちは今何を思うだろうか。民主主義の裏に、アントワネットやルイ16世等、多くの犠牲があったことを今一度心に留めおきたい。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
【参考文献】
「ひみつのヒストリー マリー・アントワネット」 ときめき歴史研究会 成美堂出版 (2015)
「王妃 マリー・アントワネット」 杉本 惇 新人物往来社 (2010)