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父には何もできなかった。だから母には全力で何かをしてあげたい

【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第二十一回

■親はふたりいる、親の死は2回ある

連載「母への詫び状」第二十一回〉

 

 50代のサラリーマンです。サラリーマンだったとしたほうがいいかも知れない。妻と子供がひとりいます。

 まさか私が仕事を辞めてまで、親の介護をするようになるとは思いませんでした。自分が一番ビックリしてますよ。

 父親が認知症になったときはね、自分で介護しようなんて、これっぽっちも考えなかった。母が父と一緒に住んでいたので、まあ、母が面倒を見るんだろうなと思いますよね。

 私は家庭もあったし、子供はまだ高校生だったからお金もかかる。何より会社で責任のあるポジションを任されていたから、介護離職なんてとんでもない。仕事より親を優先するなんて、仕事のできないヤツがやることだと本気で思ってました。

 だから、母親にも「下手に母さんが介護して共倒れになったらまずいから、父さんはさっさと施設に預かってもらいなよ」と、深く考えずに言っていた。介護の悲惨な話はたくさん聞こえてきますからね。

 息子なんて父親とは仲良くないのが普通ですから、もともと父への愛情があまりない。だから、ボケちゃった父親よりも、まだ元気な母親を心配する。母さんを道連れにされたくないから「父さんは施設に入れよう」って、最初から言ってました。息子は父親に対して冷酷になれるものなんです。

 でも、自分の身に降り掛かって、初めてわかりました。親はふたりいるんだって。

 親の死は2回あるんです。ひとりめの親の死と、ふたりめの親の死は、間を置いてやってくる。この“時間差”がいろんなことを考えさせる。

 父が亡くなってから3年後に、母が要介護の状態になりました。父は特養に入って約2年で旅立ちましたから、私は何もしないままだった。離れて暮らしていたので、会いに行ったのも2回か3回だけです。

 父を特養に預けて2年、そこから3年。今度は母の番です。つまり、父を施設に入れるかどうするかという話をしていた5年後に、母を施設に入れるかどうするかという状況になったのです。

 父さんのときは何もしてやれなかった。だから母さんのときは何かしてやりたい。私ができることを、全力でしてあげるべきじゃないか。

 

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夕暮 二郎

ゆうぐれ じろう

昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。



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