懐かしいタラコ色の車両。JR岩徳線ゆったりローカル旅
風情や歴史を感じさせる列車旅
■山陽本線の一部だったこともある岩徳線の旅
2両編成の列車に比してホームは異様に長い。岩徳線は岩国から徳山までの瀬戸内海に沿って走る山陽本線よりもかなり短い距離で両都市を結ぶので、1934年の全通時に山陽本線の一部区間となったのだ。その後、山陽本線を複線にすることになり、山がちでトンネルの多い岩徳線の区間は工事の大変さから敬遠され、山陽本線は元の海沿いルートに戻ってしまった。
つまり、岩徳線が山陽本線の一部であったのは10年ほどしかなかったのだが、長いホームや幹線並みの線路は、その面影なのだ。欽明路駅のように近年できた駅のホームはローカル線らしく短いのだが、歴史ある駅には、どこか幹線の風格を漂わせている。ただし、駅によっては、ホームの先端部分は草ぼうぼうで立ち入り禁止となっていて、ちょっとわびしい雰囲気なのが悲しい。昭和30~40年代頃の蒸気機関車時代にはC62形が岩徳線の客車を牽引したこともあるという。重量級の機関車が走れる路線なら、大型蒸気機関車のイベント走行を実現して欲しいものだ。
上り列車とすれ違い、岩国方面へ走り去っていくのを見送ったあと、列車は重い腰を上げるように動き出した。相変わらずなだらかな山に囲まれた谷間を走っていく。20分ほどの間にいくつもの駅に停車し、周防久保を出てしばらくすると、右手に立派な高架橋が見えてきた。山陽新幹線である。これまでも岩徳線とは1km近く並行して走っていたのだが、トンネルが多いことや、ずっと左手ばかり見ていたこともあり気づかなかった。岩徳線沿線に新幹線の駅はないものの、このルートがショートカットなので新幹線も瀬戸内海沿いではなく、こちらを走っているのだ。
はじめて新幹線の高架下をくぐり、生野屋駅から次の周防花岡駅までの2kmほどは新幹線高架を見上げながら進む。もっとも、高架橋が近すぎるのと防音壁が妨げとなり、新幹線電車の疾走振りを見ることはできなかった。
周防花岡駅を出ると、再び新幹線高架橋をくぐり、次第に離れていく。山並みは遠ざかり、5分ほど走ると、複線電化の線路が近づいてきた。山陽本線と合流し、櫛ヶ浜駅に到着。岩徳線の旅は終る。櫛ヶ浜駅のホームは山陽本線の脇にあり遠慮がちに停車する。