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大活躍した「ウドゥン・ワンダー(木の驚異)」(デハヴィランド・モスキート:イギリス)

技術力で明暗が分かれたその栄光と凋落④

爆撃機の護衛、対地攻撃、偵察など、 マルチタスクをこなした異形の戦闘機に肉迫! 
連載第4回。

■「永遠の万能機」としてその偉業が語り継がれている

モスキートの原点ともいえる爆撃型のB.Mk.IV。爆撃照準を行うため機首はパースペックスの透明風防仕様となっている。偵察型と同じく無武装ながら、その高速性と高機動性を武器にして戦場の空を飛んだ。

 イギリス空軍は1930年代中頃の航空関連技術の急速な進歩の渦中にあって、新しい高速双発爆撃機を求めていた。しかしあまりに進歩のスピードが速いことも影響して、その適正な性能仕様を交付することができなかった。かような状況を受けて、イギリス屈指の名門航空機メーカーであるデハヴィランド社は1938年、高速双発爆撃機の試案を独自にまとめあげた。(2018年01月03日配信:第2次大戦期に活躍したイギリスの「木製」航空機:参照)

 当時、すでにヨーロッパではナチス・ドイツの国際政策に起因する戦争の危機が迫っており、航空機に不可欠なアルミニウムなどの貴重な軍需資材は、その用途に優先順位が付けられていた。だが、デハヴィランド社が示した試案は機体を木材で造るというもので、他の航空機の生産に悪影響を及ぼさないと判断されて第2次大戦勃発後の1939年12月、その開発が承認された。

 軽量な木製の機体に、単発戦闘機のスーパーマリン・スピットファイアやホーカー・ハリケーンに搭載された航空エンジンの傑作、ロールスロイス・マーリンを2基備えた本機はモスキートと命名され、1940年11月の初飛行の結果、素晴らしい高性能ぶりを発揮。苦戦を続けていたイギリス空軍は早速、まず無武装の爆撃型と偵察型、次に武装した夜間戦闘型と戦闘爆撃型の順で、開発と戦力化を推し進めた。

 本機はその高速性と高機動性により、敵のドイツ軍をして「撃墜不能」と言わしめたほどの高性能ぶりを発揮。とはいえ単発戦闘機のフォッケウルフFw190ヴュルガーは要注意の敵手だったが、無武装の偵察型や爆弾投下後の軽くなった爆撃型では、ダイブにともなう加速によって同機の追尾を逃れることができた。

 

 一方、武装した戦闘爆撃型では、さすがに爆弾やロケット弾を満載した状態では苦戦したが、いったんそれらの兵装を使い切ってしまえば、高速性と高機動性を駆使したヒット・アンド・アウェー式の空戦で、Fw190やメッサーシュミットBf109といった単発戦闘機を撃墜することもしばしばだった。

 さらにこの戦闘爆撃型は、まだ現代のような精密誘導兵器が存在しなかった当時、超低空爆撃で小さな目標に確実に命中弾を与えられたため、ピンポイント爆撃能力が求められる対艦攻撃や特定の地上目標に対する爆撃に用いられて大きな戦果をあげている(2018年01月17日配信:絶体絶命のフランス・レジスタンス、救えるのはイギリス軍の木製万能機モスキートのみ:参照)。 

 また夜間戦闘型は、ドイツでは開発が遅れていたマイクロ波を使用する高性能の機載レーダーを搭載し、地上レーダーによる航法支援なしでドイツの占領地域やその本土の夜の空へと侵入。味方の重爆撃機を迎撃すべく上がってくるBf110やユンカースJu88といったドイツ夜間戦闘機を片っ端から屠った。

 総生産機数約7800機。実に43種類ものさまざまな型式が開発され、大活躍をして「ウドゥン・ワンダー(木の驚異)」の渾名で呼ばれた本機は、イギリスでは今も「永遠の万能機」としてその偉業が語り継がれている。(2018年01月10日配信:20世紀イギリスの木製航空機「モスキート」、その突出した点:参照)

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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