“現実は受け入れるものである”「如実知見」の教え
向谷匡史氏インタビュー④
■「如実知見」
これから先もそうなるわけですよ。すべて受け入れるしかない。それを「如実知見」と呼んでいるのですが、私流に解釈すれば、“現実は受け入れるものである”と。我々は受け入れる前から変えようとするからうまくいかないのだと。だから、まずは受け入れる。それがわかってくると、良いことも悪いことも、それは勝手な自分の判断にすぎないわけで、悪いことは良いことの素になっているかもしれないし、その逆かもしれない。そこに気が付くことが大事なんです。
教義を完全に理解したり、仏的な生き方をしなさいということではなく、“そういうものなんだ”と知って、また日常の生活に戻ればいいのです。そういう視点があることを知るだけでいいのです。この「因縁生起」こそ、わかりやすい仏教の肝ではないですかね。
もうひとつ、章立てはしていないのですが、「往相回向」という考え方も重要です。亡くなったら浄土に行って、仏になってこの地に帰ってきて、仏の働きとして勤めるということを意味していますが、それに引っ掛け、作品の中で親鸞を現生に帰しているのですよ。同じ宗派の坊さんが読んでも、決して荒唐無稽ではなく、ちゃんと教義に則ったものだと、わかってもらえる。それは声を大にして言いたいところですね。
〈第5回に続く〉
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