明智光秀の足跡を訪ねて④西教寺さんでお墓参り(その3)
季節と時節でつづる戦国おりおり第354回
■タイトル
【前回:明智光秀の足跡を訪ねて④西教寺さんでお墓参り(その2)】
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六角義賢(承禎)・柴田勝家・丹羽長秀・豊臣秀吉に歴仕した山中長俊墓。彼と大谷吉継の関係者が秀吉の伏見城の御殿を移築したのが、このお寺の客殿だということです、
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このとき雨が激しくなってきたので、写真にも白い雨脚がはっきり映ってしまっていますが、ご容赦下さい。
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前田利家の六女、菊姫(菊子)の墓。
天正6年(1576)生まれの菊姫は利家の側室・岩を母としますが、秀吉の養女となり、近江大津の金物商・西川孫右衛門重元に養育されたものの天正12年わずか数え7歳で早世しました。秀吉の養女にもかかわらずなぜ大津でひっそりと暮らし、あっという間に人生を終えなければならなかったのか。なにかドラマがそこにあったのでしょうか。
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日吉神社のある比叡山のふもとのお寺だけあって、本堂の屋根の上には神のお使いであるお猿さんの瓦が載っていました。