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7.5cmPaK40の誕生とその派生型

ドイツ軍でもっとも活躍した対戦車砲③

■ドイツ軍を支えた技術の誕生

写真を拡大 集団演習中の7.5 cm KwK 40搭載IV号戦車。同砲を初めて搭載したIV号戦車F2型からG型初期までは、砲身長43口径の初期型を備えたが、それ以降は、砲身長が48口径に延伸されて砲弾の初速が向上し、貫徹力も向上した主要生産型が搭載されるようになった。

 さて、「真打ち」の7.5cmPaK40だが、「T-34ショック」と「KVショック」によって、急に開発優先順位が高くなった。開発していたのは、ドイツ屈指の老舗名門兵器メーカー、ラインメタル社である。

 きわめてオーソドックスな砲の構造と、同じくきわめてオーソドックスな砲架のデザインを組み合わせた手堅い設計だったおかげで開発は順調に進み、試作砲が完成したのは1941年11月だった。

 一方、同じ口径の7.5cmながら、PaK40とは逆に技術的冒険が行われたのは、同時期に開発が進められていた7.5cmPaK41である。同砲はラインメタル社のライバルといってもよいドイツ兵器メーカーのもうひとつの雄、クルップ社が開発を担当していた。

 7.5cmPaK41は、ゲルリッヒ砲(口径漸減砲)と呼ばれる、斬新な原理を採用した砲だった。砲身の元の方(薬室側)ではその口径は7.5cmだが、砲口に向かうにしたがって徐々に口径が細くなり、砲口部では5.5cmにまで細くなる。そのため、最終的な5.5cmよりもやや細い砲弾(弾芯)に比較的柔らかい金属製のリングを取り付け、発射されるとそのリングが次第にしごかれて砲弾の尾部のくぼみへとまとまり、砲口を出る時点では、砲弾の直径が5.5cmになるというものだ。

 

 このゲルリッヒ砲の特徴は、口径が細くなって行く過程で砲弾の速度が上がり、装甲貫徹力がより高くなる点である。例えば、7.5cmPak41から撃ち出されるPzgr.41徹甲弾は命中角90度の場合、射距離1000mで177mmの装甲を貫徹するのに対して、7.5cmPaK40が撃ち出す最強の徹甲弾であるPzgr.40は、同一条件下で133mmを貫徹と約40mmも少ない。

 しかし7.5cmPaK41用の徹甲弾には、貴重な戦略物資のモリブデン鋼とタングステン・カーバイドが必要とされた。結局、それが原因でわずか150門が限定生産され、弾薬を消費し尽くしたところで廃用になってしまった。

 本命の7.5cmPaK40は、1942年4月から量産がスタートした。さらに本砲をベースに、戦車搭載型の7.5 cm KwK 40、突撃砲や駆逐戦車への搭載型の7.5 cm StuK 40とその改修型の7.5cm PaK 39も開発された。KwK 40はIV号戦車、StuK 40はIII号突撃砲、PaK 39はヘッツアーに搭載されている。

 これら車載型は、狭い車内での取り扱いの利便性を考慮して、オリジナルの7.5cmPaK40の左右に作動する水平鎖栓式閉鎖機に代えて、上下に作動する垂直鎖栓式閉鎖機用が採用され、弾薬も全長を短くしたものを使用しているため、PaK40との弾薬の互換性はない。

 7.5cmPaK40とその派生型は、T-34、M4シャーマン、チャーチル、そしてやや手強いが、狙点さえ間違えなければKVやスターリン重戦車も撃破可能だったので、ドイツ敗戦の日まで運用され続けた。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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