「不倫をした人/してしまう人」を断罪しても仕方がないと私が思う理由【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第4回
なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)が話題。その著者で、小さな教会の牧師・沼田和也氏が「不倫をした人/してしまう人」を一方的に断罪しても仕方がないと思う理由。
抽象的な話は前回までで置いておくことにして、今回からは読者の皆さんの日常に関係がありそうな話をしたい。とはいっても、わたしの性格上、またしても抽象的な語り口になってしまうであろうことをご寛恕願いたい。今回のテーマは不倫についてである。
わたしは今でも精神衛生上の理由から、臨床心理士に月一度のカウンセリングを受けている。今となってはことさら深刻な話をすることも滅多にないが、妻以外に自分の心境を話すことができる誰かを確保しておくことは、心の健康上とても大切なことだと思っている。
ところで、臨床心理士がふと話してくれたことであるが、最近は不倫や、それにともなう離婚に関する相談もずいぶんと増えたそうである。コロナ離婚という言葉がまことしやかに語られたこともあったが、その真偽はともかくとして、ストレスフルな状況下に置かれた夫婦が多いことは間違いなさそうである。
わたしは今まで、小さな教会で牧師をしてきた。だから、自分が働いている教会で結婚式の司式をした経験はほとんどない。一方で、ホテルのアルバイトで結婚式の牧師役(役といってもわたしは本物の牧師ではあるが)をしたり、知り合ったカップルに頼まれて、小さなバーで何組かの司式をしたりはしてきた。そのうちのある夫婦は今でも仲良く暮らしているし、別のカップルは別れた。別れることもまた、人生の決断の一つである。別れた人々に対して「別れてかわいそう」だとか「無駄な結婚生活だった」というような考え方をわたしはしないし、そういう考え方を好まない。人にはそれぞれ事情があるものだ。
それはそれとして、別れた理由が不倫であった場合。不倫というからには「倫理的ではない」という価値判断があるのは間違いない。結婚生活をしていながら、別の人と関係を持つ。それもパートナーには隠して。たしかに、それはお世辞にも倫理的な行為とはいえないだろう。ただ、不倫をした人/してしまう人を一方的に断罪しても仕方がないと、わたしは思う。なぜ、その人は不倫をしてしまったのか。その人が今なお不倫をやめられないのはどうしてなのか。わたしはそのあたりの消息に想いを馳せたいのである。