佐賀城の今昔物語
外川淳の「城の搦め手」第92回
■佐賀城の今昔物語
佐賀城には、過去3回、訪れている。最初に訪れたのは、1982年、大学1年の夏。高校から大学まで記録し続けた旅行記には以下のように、その時の感慨がまとめられている。
佐賀城内は、住宅や施設が建て込んでおり、城のような感じがない。鯱の門や天守台もごちゃごちゃした中にある。
天守台にも意味不明の建物があり、そこで縄張り図を見ても全体像が把握できなかった。
意味不明の建物とは、明治期に建設された協和館という建物で、2003年に撤去されるまで公民館的施設として利用されていた。
高校生のころから、ネガカラーで写真を撮影していたことから、天守台の上に協和館が存在したころの写真があるかと思い、ネガカラーが収蔵されたスペースを捜索。だが、1時間かけても発見できずに断念する。
次に佐賀を訪れたのは、幕末維新のガイドブックに掲載する写真撮影のため、1996年の年末のことだった。
この時、撮影したリバーサルフィルムは、すぐに発見できたものの、天守台の写真は撮影していなかった。やはり、アナログ撮影の時代は、デジタルとは違いフィルム代と現像代がかかるため、カット数は必要最小限となり、後悔することが多い。
3度目の佐賀城攻めは、2004年秋のこと。「名城をゆく」というウィクリーブックの取材を目的とし、この時には佐賀城本丸歴史館が開設され、本丸御殿の再建や、城内の整備が進行していた。現状とは大差のない状況を撮影している。
https://saga-museum.jp/sagajou/
城を巡り始めてから、30年が経過すると、天守再建以前の天守台だけの状態や保存修理以前の櫓や門など、まあまあ、貴重なカットも撮影している。
だだ、佐賀城の場合は、そのような意識がなく撮影したため、整備の過程がわかるようなカットがないことは残念だった。