名古屋の古城と銭湯と
外川淳の「城の搦め手」第93回
戦国時代の名古屋市内には、数多くの城館が存在した。前田氏の荒子城(中川区)、平出氏の志賀城(北区)、佐々氏の比良城(西区)などが代表例としてあげられる。
ただし、その大半が市街化によって、遺構が地上から消滅した状態にあり、佐久間氏の御器所城もまた、例外ではない。
尾陽神社の境内には、土塁の痕跡とも思われる地面の出っ張りも、認められなくもないが、遺構は消滅したとみなすべきなのだろう。御器所城探査後、というよりも銭湯巡りの時間調整を終えると、近所の銭湯へ。フロントには、うら若き女性が座っていた。銭湯の番台やフロントに座っている女性の9割以上は年上のため、不思議な気持ちを抱きながら脱衣所へ。
小一時間ほど入浴したのち、フロントに戻ると、60代後半の父親に交代していた。
ある意味、妙齢の女性に対しては話しかけにくいが、この交代があったからこそ、気軽に会話ができ。彼女の年齢や職業、そして母親が体調不良のため、たまたまフロントにいたことを知った。
それから、1時間以上、ご主人との会話が続いた。名古屋市内では、最初にフロント型式をしたなど、銭湯事情で口火が切られ、ご主人の若き日の世界周遊にまで話が及んだ。
会話の途中、「お土産がある」との一言を残し、ご主人は居住スペースへ。そしていただいたのが特製の手拭い。
江戸時代に作成した地図を絵柄にすることにより、往時と現在との寺社や街路の一致を知るとともに、かつては池だったエリアの地盤の軟弱性を考えるため、この手拭いを製作したとのことだ。