『消えたお妃候補たちはいま』から紐とく、天皇陛下の雅子さまへの想い―前編
天皇陛下と皇后雅子さまがご成婚に至るまでを“皇室の婚活”という視点で読む
1985(昭和60)年、25歳になった浩宮さまは、2年4か月余りのオックスフォード大学留学終了前と帰国後に複数回の会見で理想の女性像を語っている。
海外生活で一般人に近い暮らしや一般女性との友情を育むという体験を得たためか、具体的かつ自身の希望や実感のこもった条件があがった。
「ある程度は自分の意見を持っている人がいい」
「ふだんはしとやかなところがあっても、意見を言うときはしっかり話せる人が好き」
「これから先は外国人との接触が多くなってくるのである程度外国語ができるほうがいい」
など、まるで雅子さまを予感させるようなキーワードが並ぶ。さらに、
「美しい物や大切と認識する物など価値観が同じであればベスト。金銭感覚は贅沢を避け質素」
「自分の趣味や関心、具体的にはスポーツや音楽を理解できること」
何より注目すべきは「結婚は30歳前がいい」と時期について言及したことだろう。
期限を区切ったことが功を奏したのか、宮内庁もやっと本腰を入れてリストを作り始めたという。しかし、本人があげた理想の女性像は何度も会って判断していくものであるのに対し、宮内庁の候補者選びは相変わらず「就職してOLになる前の、良家の子女」を書類選考・審査するような方針だった。
しかも浩宮さまは立場上、自分から婚活的なアクションを起こすことは一切できないし、性格上、宮内庁のお妃探しに口をはさむこともなかったという。
それでも一筋の光明というべきはお妃候補選びに「外務省ルート」が存在したことである。
具体的な女性像を繰り返し言葉にして言霊の力で「引き寄せ」たのだろうか。浩宮さまは1986(昭和61)年10月、ついに運命の人、小和田雅子さんと出会うことになるのだ。
※6/1配信の<後編>に続きます
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消えたお妃候補たちはいま ―「均等法」第一世代の女性たちは幸せになったのか
小田桐 誠
皇后雅子さまと他の候補者たちを分けたもの
それぞれを待っていた未来は
令和時代が幕を開け、皇后となった雅子さまに大きな注目が集まっている。現在の皇室も結婚問題に揺れているが、天皇陛下が雅子さまを射止めるまでの「お妃選び」も、初めてお相手候補の報道が出てから15年という長期にわたり世間の耳目を集めるものであった。
その間、リストアップされた有力候補者たちは本書に登場するだけでも70名。雅子さまとのご成婚に至るまでに、家柄も学歴も申し分ない候補者たちがなぜ、どのようにリストから消えていき雅子妃が誕生したのか。
外務省でのキャリアを捨てて皇室に入られた雅子さまと、消えたお妃候補者たちは同世代で、いずれも「男女雇用機会均等法」第一世代。四半世紀を経た今、果たしてそれぞれの幸せをつかんでいるのか――克明に追ったルポルタージュ。