「今まで見た雅子さまの中で一番美しい」。日本中が歓喜に沸いたあのパレードでの雅子さまの麗姿はこうして生まれた
皇室御用達の与儀美容室が語る「世紀のパレード」の舞台裏
私ども「与儀美容室」は、私の祖母である与儀八重子が昭和23年に銀座で創業し、その後、母である与儀みどりが継ぎました。この「与儀美容室」は、先日リニューアルした、日本を代表するホテル「オークラ東京」の中にあります。(『与儀美容室がお客さまから学んだ「美しい生き方」』著/与儀育子 より引用)
今までいろいろと仕事をしてきた中でも、母が思い出深い仕事のひとつと語るのが、今上天皇と雅子妃殿下の結婚の儀のお支度の際のことです。中継していたNHKの視聴率が30%を超えるという、かつてない熱狂で迎えられた御婚儀でございました。今回は、その時のお話をさせていただきたいと思います。
空前のブームになった雅子さまのロイヤルウェディングのお支度ですが、私たちにお声がけいただいたのは、平成5年4月のこと。御婚儀まで2ヶ月をきったタイミングでした。
1月の段階ではすでに「与儀さんにお願いしよう」というお話になっていたそうなのですが、私たちにお伝えいただくまで時間がかかったのは、当時まだ現場で現役だった祖母が「張り切って体調を崩さないように」とお気遣いいただいてのことだったそうです。
たしかに研究熱心な祖母のことですから、事前に分かっていたら根を詰めて、また倒れていたに違いありません。
もちろん私たちも、報道で御婚儀があることは存じあげておりましたが、すでに他の美容室が担当されると決まっているのだろうと思い込んでいたのです。ですから、正式にご依頼いただいた時は本当に驚きました。
当日までに雅子さまにお会いできる機会は、ファッションデザイナーの森英恵先生のところでドレスの試着をされる時と、リハーサルの時の2回だけしかありませんでした。そのため祖母と母は、雑誌や新聞から雅子さまのありとあらゆる写真を集め、お顔立ちや耳の位置などを確認し、どんなスタイルが似合うのかを検討させていただいておりました。
サイドのラインをほんのちょっとお耳にかけると上品になるのではないか、ティアラをつけるので目元は少し強調した方が良いのではないか、といった技術的なポイントなどをこと細かく考えていくのです。
そうして練りに練った末にデザイン画を描き、打ち合わせを経て、スタイルが決まったらあとは本番に向けてひたすら練習を繰り返します。練習台になったのは、僭越ながら当時髪が長かった高校生の私でした。
何しろ、当日に現場に入ることができる人数はわずか3名。おすべらかしになった御髪を洗って鬢付け油を落とし、その濡れた髪を乾かしアップスタイルにしてティアラをつけメイクをする、というところまでで時間は1時間半しかありません。
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戦前、銀座の「資生堂美容室」で働いていた初代・与儀八重子氏が1948年、焦土となった銀座の一角に「シャンプーができる美容室」として開業したのが与 儀美容室のはじまり。その後、丁寧な仕事ぶりや革新的な技術の導入、さまざまな縁も重なって宮家が通うようになり、その後、順宮厚子内親王殿下(池田厚子 さま)の婚礼の支度などを任されるようになる。さらに紀子さまの婚礼支度、雅子さまの婚礼支度、眞子さまや佳子さまの式典や晩餐会でのお支度など、皇室か ら信頼される一流美容室に。さらに与儀美容室は、縁あって山中教授や本庶先生など、ストックホルムで行なわれるノーベル賞受賞者の授賞式支度もされていま す。
そんな一流美容室でありながらも、モットーは「お客様目線」。例えばカラーで白髪を隠そうとしている客に対してカウンセリングし、白髪を活かす「グレーヘ ア」を提案するなど(※そのままカラーをすれば、当然カラー料金が利益になるが、個人の髪質やスタイルなどを踏まえ、客のためにならないことはしない=利 益のみを追求することはしない)、偉ぶることのない仕事ぶりはテレビなどでも特集されています。
本書は皇室御用達ながらも、けして高飛車になることなく地に足をつけた仕事ぶりで高い評価を得ている与儀美容室の「仕事の流儀」を紹介。さらに三代目であ る与儀育子氏が考える将来の展望なども含め、あまり語られることのなかった、与儀美容室の「今まで」と「これから」にも迫ります。