「今まで見た雅子さまの中で一番美しい」。日本中が歓喜に沸いたあのパレードでの雅子さまの麗姿はこうして生まれた
皇室御用達の与儀美容室が語る「世紀のパレード」の舞台裏
また、皇室の方の御婚儀には、気を配ることが山のようにございます。たとえば海外ではティアラでお辞儀をすることはありませんが、日本では天皇陛下に最敬礼をなさいます。45度ほど頭を傾けるのですから、深く礼をされてもティアラが落ちない工夫が必要なのです。
さらに屋外を30分以上オープンカーで走るパレード中はお直しができませんから、風や雨で一切崩れないようにセットさせていただかなければいけません。祖母も母も、それをサポートする私も、緊張の日々が続きました。
こうして迎えた6月9日。前日からの雨はまだ降り続いていました。
雨が降り止まない空を見上げて母は「パレードは中止かもしれない」と思ったそうです。
おふたりは皇居で朝見の儀に臨まれた後、車寄せからオープンカーにお乗りになって赤坂の東宮仮御所までの4.2キロをパレードし、国民の祝福を受けることになっていました。しかし、朝見の儀が終わる頃になっても、まだ雨は止みません。
雨に濡れたら御髪はどうなるのだろう、オープンカーでなかったら沿道のみなさんにどう見えるのだろうと、母は気が気でなかったそうです。
16時43分、朝見の儀を終えたおふたりが車寄せにお越しになりました。母が祈るように空を見上げた時のことです。重い雲がサッとかき消え、ティアラをのせた妃殿下の髪に明るい光が差し込みました。そのお姿の神々しさに母はハッと息を飲んだと言います。
御所の空気はいつも特別な神聖さがあるのですが、この時は格別に空気が澄んでいて、神秘的な力を感じたそうです。笑顔のおふたりを乗せたオープンカーが滑り出し、沿道に詰めかけた19万人がそのお姿に歓声をあげたのでした。
婚約内定前からずっと雅子さまを追い続けてきた「雅子さま番」の記者の方が母のところにお越しになって、「今まで見た雅子さまの中で一番美しかった。人をこんな輝かせる仕事があるのですね」と言ってくださったそうです。
実際、沿道に笑顔で手を振られた雅子さまのヘアスタイルやメイクは、どの角度から見ても品良く美しく見えると、多くの方から絶賛していただきました。
「あの仕事は私がやりました」と言いたがらない母ですが、昨年ご成婚25周年を記念した日本テレビの番組『皇室日記』には、私と一緒に出演させていただきました。常に裏方に徹する母にとっても、後年語りたくなるほど晴れがましい記憶なのではないかと思います。
皇室の方のお支度やノーベル賞の授賞式といった晴れがましいお仕事のお話を少し書かせていただきました。仕事をしていれば葛藤することもありますし、力不足でお叱りを受けることもあります。ですが、それを糧にしながら、お客さまのために毎日努力を続ける。そんな日々の仕事の積み重ねが、このような華々しいお仕事につながっているのではないかと思うのです。
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戦前、銀座の「資生堂美容室」で働いていた初代・与儀八重子氏が1948年、焦土となった銀座の一角に「シャンプーができる美容室」として開業したのが与 儀美容室のはじまり。その後、丁寧な仕事ぶりや革新的な技術の導入、さまざまな縁も重なって宮家が通うようになり、その後、順宮厚子内親王殿下(池田厚子 さま)の婚礼の支度などを任されるようになる。さらに紀子さまの婚礼支度、雅子さまの婚礼支度、眞子さまや佳子さまの式典や晩餐会でのお支度など、皇室か ら信頼される一流美容室に。さらに与儀美容室は、縁あって山中教授や本庶先生など、ストックホルムで行なわれるノーベル賞受賞者の授賞式支度もされていま す。
そんな一流美容室でありながらも、モットーは「お客様目線」。例えばカラーで白髪を隠そうとしている客に対してカウンセリングし、白髪を活かす「グレーヘ ア」を提案するなど(※そのままカラーをすれば、当然カラー料金が利益になるが、個人の髪質やスタイルなどを踏まえ、客のためにならないことはしない=利 益のみを追求することはしない)、偉ぶることのない仕事ぶりはテレビなどでも特集されています。
本書は皇室御用達ながらも、けして高飛車になることなく地に足をつけた仕事ぶりで高い評価を得ている与儀美容室の「仕事の流儀」を紹介。さらに三代目であ る与儀育子氏が考える将来の展望なども含め、あまり語られることのなかった、与儀美容室の「今まで」と「これから」にも迫ります。