雅子さま、紀子さま…。麗しいお姿の礎はこうして生まれた。創業者与儀八重子氏の代から続く皇室と与儀美容室とのかかわり
皇室御用達の与儀美容室が語る皇室とのかかわりと御婚儀のお支度
「与儀美容室」の前身である「ラ・ボーテ」を祖母が開業したのは昭和23年。終戦から三年経ったとはいえ、創業当時はまだまだ物資も乏しく、祖母はGHQの将校の奥さまから舶来のヘアカラーやパーマ液を手に入れては、自分の髪を実験台に最新の技術を習得していました。祖母の髪は紫色になったり緑色になったりと大変なことだったと聞いております。ピーリング剤を試した時は、顔中の肌が剥けてしまったこともあるのだそうです。
祖母は心から美容が大好きな人でしたので、ひとつでも多くの技術を身に付けたいと思っていたのでしょう。それは母も同じなのですが、「もっと知りたい」「試したい」と思うと好奇心が収まらず、新しい挑戦に時間も手間も惜しまないところが、与儀家の女性陣の伝統のようです。
このようにして祖母が習得した最新の技術やセンスは評判を呼び、いつしかお店には三笠宮妃殿下をはじめ上流階級の奥さま方がお越しくださるようになりました。新橋にもお店を構え、祖母は銀座通りを東へ西へと駆け回っていたようです。そして、この時得たお客さまのご縁から、先の天皇陛下のお姉さまでいらっしゃる順宮さま(現・池田厚子さま)の御婚礼のお支度を担当させていただくことにつながったと聞いております。
こんなエピソードもありました。
ある夜、幼かった母が寝床から起き出しますと、裸電球の下で祖母が何かしております。「何をやっているのかしら?」と、不思議な気持ちで見てみると、祖母は髢(かもじ=髪の毛の束)をたらいの中で一心に洗っていたそうです。祖母はこの時、順宮さまのお支度のための研究をしていたのでした。
皇室の方のご婚儀は、十二単からローブデコルテへのお召し替えがあります。ヘアセットとメイクの時間は合わせて1時間半ほど。その限られた時間で、固まった鬢付け油を素早く落として洋髪に結い直すのです。
良いシャンプーも石鹸もない時代ですので、揮発油などの薬剤を使う美容室もあったようですが、刺激が強いため髪を傷めてゴワゴワにしてしまいます。さらに気化した気体を吸い込むと卒倒してしまう恐れがあり、大変危険でした。
祖母は髪を傷めず、安全できれいに鬢付け油を落とす方法を必死に探していたのです。
この時に祖母が編み出した技術が、後に私たちが雅子さまや紀子さまのロイヤルウェデイングに関わらせていただくきっかけとなったようです。
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戦前、銀座の「資生堂美容室」で働いていた初代・与儀八重子氏が1948年、焦土となった銀座の一角に「シャンプーができる美容室」として開業したのが与 儀美容室のはじまり。その後、丁寧な仕事ぶりや革新的な技術の導入、さまざまな縁も重なって宮家が通うようになり、その後、順宮厚子内親王殿下(池田厚子 さま)の婚礼の支度などを任されるようになる。さらに紀子さまの婚礼支度、雅子さまの婚礼支度、眞子さまや佳子さまの式典や晩餐会でのお支度など、皇室か ら信頼される一流美容室に。さらに与儀美容室は、縁あって山中教授や本庶先生など、ストックホルムで行なわれるノーベル賞受賞者の授賞式支度もされていま す。
そんな一流美容室でありながらも、モットーは「お客様目線」。例えばカラーで白髪を隠そうとしている客に対してカウンセリングし、白髪を活かす「グレーヘ ア」を提案するなど(※そのままカラーをすれば、当然カラー料金が利益になるが、個人の髪質やスタイルなどを踏まえ、客のためにならないことはしない=利 益のみを追求することはしない)、偉ぶることのない仕事ぶりはテレビなどでも特集されています。
本書は皇室御用達ながらも、けして高飛車になることなく地に足をつけた仕事ぶりで高い評価を得ている与儀美容室の「仕事の流儀」を紹介。さらに三代目であ る与儀育子氏が考える将来の展望なども含め、あまり語られることのなかった、与儀美容室の「今まで」と「これから」にも迫ります。