視姦され、批評され、選ばれるミス・美女ジャケットコンテスト
【第7回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
もっとも、こういうジャケを見て美女ジャケ好きはどう思うかというと「タイトスカート女性が椅子にチョコンと座っているのセクシーだよね」とか、「左右の脚で色違いのストッキングと靴を履いているのはモダンだなぁ」とか、「髪型はやっぱアップでしょ」なんて程度のことだ。
そうそう、音楽のほうはそっちの思考が済んでからちゃんと聴きます的な感じ。
だが、この「批評の対象」にできる感じが多人数ジャケの魅力なのである。それって何かと同じでしょう? と気づくはず。そう「美人コンテスト」とまったく同じ視線、構造なのだ。視姦的まなざし。
美人コンテストは1888年にベルギーで開催されたものが最初といわれる。水着審査が始まったのは1921年の〈ミス・アメリカ・コンテスト〉。そして第二次世界大戦後の1951年にイギリスで始まった〈ミス・ワールド〉は、流行り始めていたビキニ水着での審査を取り入れた。1952年には〈ミス・ユニバース〉が開催。後者ふたつは現在でも世界2大ミス・コンとして有名だ。
そんな50年代のミス・コン気分がよく表れているのが、砂浜セットで水着美人たちが肩からタスキをかけていかにもなバディ・コールの「The Most Recorded Songs of All Time」。タスキに書かれているのは出身国(出身地)ではなく、収録された曲名。なるほどきちんと工夫が凝らされている。
こちらは5人のモデルがポーズを取っているが、裏面でも水着を替え、ポーズを変えてまるで10人の美女がいるかのようだ。人数が多いほどミス・コン気分はいや増すから、これは多人数美女ジャケの大成功例だろう。
そもそもメタリックの紙に印刷しているので光沢感が強烈な印象を残す。美女ジャケでもここまで用紙に凝ったものは他に見あたらない。
多人数美女ジャケというのは、もう少し前からあった。「夜もの」音楽として多数のヒットアルバムを放ったジャッキー・グリーソンの「Music to Rememder Her」あたりがその最初かもしれない。1955年リリースだが、よくよく見ると保守的な50年代のわりにはけっこうエロい雰囲気が漂っている。まあ、グリーソンの美女ジャケものはこの連載第3回目で紹介したように、どれもエロいのだが。
この微妙なエロさの根源は目線とライティング(照明)にある。さすがCaptolレコードの制作部のライティングは一級だ。切り抜きでアタマだけという、やりかたによっては不気味に見える絵柄もCaptolのデザイナーが見事に処理している。やはり美女ジャケのセンスの最高峰はCaptolレコードなのだ。
ところで収められている曲はどれも女性の名がタイトルになったスタンダード曲など。レコード裏表、合計16曲、つまり女性16人の名が記されている。
そして裏ジャケには「香水から笑い声、透明に輝く口紅まで、女性の思い出を呼び起こす無数の事柄のなかでも音楽ほど魅力的で刺激的なものはない。 おなじみのメロディーは、ある女性との過ぎ去った多くの出来事、感情を鮮やかによみがえらせる」
……なんてキャッチも。大人の世界だ。でも、カバーの女性は6人。そりゃそうだろう、16人もいたらデザイン的に収まりきらない!
ところが翌56年、まるでグリーソン作品をパクッたようなデザインのアルバムがリリースされる。ローレンス・ウェルクの「THE Girl Friends」。なんと11人もの美女がコラージュされているではないか! しかもデザイン的に破綻なく、とてもよくまとまっている。
こちらはそれぞれの女性に名前まで振っているが、収録された楽曲は12曲。洒落たことに冒頭の曲が「The Girl Friends」で、残りの11曲が女性名を冠した曲という仕掛けだ。このジャケは多人数ものの白眉だとも思う。それぞれの違う角度の表情だけでなく、右下にバスタオルを巻いた女性、左上にオール・イン・ワンと覚しきセクシーな女性、とバランスの妙が冴えわたっている。グリーソンの淫靡なエロさが脱色されてしまったような感じだ。
そのまた翌年の57年、ウォルター・シャーフの「DREAMS BY THE DOZEN [for men only]」が似たようなデザインでリリースされる。こちらも雰囲気たっぷりの良いジャケットだが、フォントをよく見て欲しい。ジャッキー・グリーソンの「Music to Rememder Her」と同じフォントを使っているのだ。
これはもうパクリというしかないでしょう。さすがインディー・レーベルのハシリ、Jubileeレコード。こちらは多人数顔ジャケでの最多の12人!をあしらい、女性名を冠した12曲の収録曲とイメージをつなげている。これもまたグリーソンが始めたことだから、ひとつ斬新な企画がヒットするとその模倣がたくさん生まれるという、どこの世界にもよくあることが美女ジャケ界にも起きていたことの証左ともなっている。