【金儲けの哲学】『ユダヤの商法』に令和の時代を生き抜く術を見た ~ 起業家・藤田田 誕生前夜① ~
不世出の起業家・藤田田が「ユダヤの商法」に開眼するまで
■1日の賃金240円時代に毎月5万円を貯金、40年間で2億円超!
筆者が西新宿の住友三角ビル44階の日本マクドナルド本社(当時)で藤田と向かい合い学研『活性』に登場した級友の話が出た後、「それで中村さんは何を聞きたいですか」と、水を向けられた。筆者が、「青春時代のことを……」と言うと、藤田はそれから立て板に水が流れるように、次から次へとノンストップで話し続けた。
藤田のインタビューで面白かったのは、藤田が東大法学部時代に交流のあった高利貸し「光クラブ【註】」の山崎晃嗣との出会いと別れ。そして、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の通訳をしている時に、ユダヤ人軍曹と知り合い「ユダヤの商法」を学び、大学2年在学中の1950年(昭和25年)4月に輸入雑貨商社の「藤田商店」を個人創業したことだ。その際、藤田が当時としては高額な5万円(現在の120万円前後)を毎月定期預金として始めていたことにも興味が注がれた。
筆者は怪物・藤田田の定期預金を大きなテーマにして「藤田田物語」を書いた。『日本マクドナルドの20年史』は完成すると1部送られてきたのだが、よく読むと定期預金の部分について藤田が相当な加筆修正していたのである。それは次のような内容だった。
藤田が月々5万円の定期預金を始めた1950年頃、日雇労働者の1日の賃金は俗称で「二個四」(100円札2、10円札4でニコヨン)とも言われた手取り240円であった。すなわち25日間働いても、「240円×25日間=6000円」にしかならなかった時代である。その時代に藤田は、「100万円」を目標に、日雇い労働者の賃金8カ月分以上にも上る5万円の大金を毎月、定期預金していたのである。
藤田は最初の10年間は5万円、次の10年間は10万円、その次の10年間は15万円と、つまり1950~80(昭和25~55)年の30年間、月平均10万円をコツコツ貯金してきた。さらに81年以降は毎月10万円を貯金していた。筆者が91(平成3)年にインタビューした時には40年以上にもわたって一度も休まずに続けていた。
それでは藤田の定期預金は40年間でいくらになったか——。