卑弥呼による内政統治の実態とは?
謎多き女王・卑弥呼の正体に迫る 第2回
■卑弥呼は内政ではシャーマンとして国を治めた
卑弥呼について『魏志』倭人伝は、「鬼道(きどう)に事(つか)え能(よ)く衆を惑わす」と記している。また、「年すでに長大にして夫婿(ふせい)なし」とものべている。ここからみえてくる卑弥呼のイメージは、まず、「鬼道」にたくみであり、それによって人々の心をあやつりまどわせるというものである。そして、年はかなりとっていて、夫はいないとある。その書きぶりから、何やら行動も容姿もともに一般人とは少しちがったイメージを受ける。
卑弥呼がおこなっていた「鬼道」については、大きくいってシャーマニズムの一種とする説と、道教(どうきょう)の呪術ととらえる説の2つがみられる。シャーマニズムとすると、卑弥呼は神の言葉を告げる巫女(みこ)といえる。それに対して道教はというと、中国で成立した民間宗教であり、神仙思想などを中心思想とした現世利益の要素が強く、呪術的な面も多々見られる。現代にもその影響は残っており、たとえば大安・仏滅といったお日柄や、丙午(ひのえうま)の女房は亭主をくい殺すなどといった干支(えと)の迷信は道教からきている。
鬼道にもどるなら、その実態をシャーマニズムか道教のどちらかに断定することは難しい。卑弥呼がシャーマニズムをあやつるシャーマン、すなわち巫女だった可能性は十分にある。巫女についての記述は、『古事記』や『日本書紀』などの史料によってもうかがうことができ、特に日本の古代史においては、女性のシャーマンである巫女の役割が大きい。
また、道教的な呪術についても、大陸で成立した道教が、倭と中国との交流の一環として列島社会に流入した可能性は十分にある。そうしたいわば新しい呪術を卑弥呼が身につけていたため、女王に立てられたとも考えられるのである。
いずれにしても、呪術を通して人々を支配するというのが卑弥呼の内政の実態といってよいであろう。
《謎多き女王・卑弥呼の正体に迫る 第3回へつづく》