「子どもの理不尽な言動に耐える教師たち」このまま放置でいいのですか?⑴【西岡正樹】
教師に対する理不尽な言動が低年齢化している理由
◾️子どもに関わる全ての人が真摯に考えるべきこと
もしこの状況を放置すれば、子どもの理不尽な言動はこれからもエスカレートし、続いていくことは容易に想像できる。教師も保護者も、私たちみんなが本気になってもう一度考えなければならない時に、来ているのではないだろうか。
* 私たちは、子どもたちの体験や経験をきちんと積み重ねているだろうか。(幼く育てない)
* 私たちは、子どもたちが自らの成長を実感できる環境づくりをし、余計なジレンマや多大なストレスを子どもたちにかけないようにしているだろうか。(環境が子どもを育てる)
* 私たちは、子どもたちの容量を越えた情報を与える「IT機器」や「大人たちの言動」の存在を自覚しているだろうか。(限度を越える情報は子どもの混乱を招く)
* 私たちは、人と人が繋がる大切さを子どもたちにしっかりと伝えているだろうか。(人はひとりでは生きていけない)
私が常々考えていることを整理してみた。子どもに関わる全ての人(すべての教師や保護者)に真摯に考えてほしい。そして、それが一人ひとりの行動につながっていくことを強く願っている。
私たちは、子どもの理不尽な言動に耐えている教師や支援員をそのままにしてはならない。何故なら、やってはいけないことは子どもも大人も同じだから。子どもだからといって許されるわけではない。また、教師や支援員への理不尽な言動を減らすことは、ダイレクトに理不尽な言動をする子どもやその周りにいる子どもたちの安心につながる。そして、安心は子どもたちの深い学びへ繋がっていくのだ。
私は、今でも25年前に担任した6年生のYがつぶやいた言葉を思い出すことができる。
「自然を壊したのは人間だけど、自然を元に戻すことができるのも人間だと思う。人間はそんなにバカじゃないんじゃないかな」
そして、私は今でもYの言葉を信じている。
文:西岡正樹